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わざわいるを知らざるよりもだいなるはなし
ー禍莫大于不知足ー   老子
(老子:二巻八十一章。道家の祖。老耽の撰と伝えられるが、
老耽が実在したか否かは明らかではない。
人為、虚飾を去って、無為自然であるべきことを説いている。別名「道徳経」)

 

{原文}
天下有道、却走馬以糞、
天下無道、戎馬生於郊。
罪莫大於可欲、
禍莫大於不知足、
咎莫大於欲得。
故知足之足、常足。

 

{書き下し文}
天下に道有(みちあ)れば、走馬(そうば)を却(しりぞ)けて以(もっ)て糞(ふん)させ、
天下に道無ければ、戎馬郊(じゅうばこう)に生ず。
可欲(かよく)より大なる罪は莫(な)く、
足るを知らざるより大なる禍(わざわい)は莫く、
得んと欲するより大なる咎(とが)は莫し。
故に足るを知るの足るは、常に足るなり。

知足

 

{意解}
天下が道で治められているなら、伝令の早馬は農耕馬として使われるようになるだろう。
天下が道で治められていないなら、農耕馬は戦車の馬として
国境付近で飼育されるようになるだろう。

欲望をちらつかせて他人を煽ることより大きい罪はなく、
満足を知らないことより大きな災いはなく、
欲しがることより大きな過ちはない。
ゆえに、足るを知るとは あるがままの現実に常に満足することだという。  

 「欲」について調べてみると、
仏教では、眼・耳・鼻・舌・身・意(げん・に・び・ぜつ・しん・い) の六根から欲が生じ、
心の働きや行動を決定する際に重要な役割をもつと考えられている。
 仏教では、人間に「欲」は本能的に具わっているもの、
諸悪の根源とは捉えないが、無欲を善として推奨し、
修行や諸活動を通じて無欲に近づくことを求めており、
自制ではなく欲からの解放を求めている。

 しかし、煩悩や欲があるからこそ菩提も生まれるという、
煩悩即菩提という考えが形成され、
大乗仏教の中には欲そのものを全否定せず、 一部肯定する考えもある。

 アブラハム・マズローは「欲求階層論」を唱え、

マズロー1
低次元から高次元までの、5つの階層をなしている、とし、
低次元の欲求が満たされて初めて高次元の欲求へと移行する、とした。  

 人間の欲望は必ずエスカレートする。 欲望の赴くところは際限を知らない。
そんな欲望に引きずられて突っ走れば、 いずれは必ず足を踏み外す。  

 これが「老子」の認識であり、中国人の認識であった。
「菜根譚」にも
* 欹器以満覆、撲満以空全。 欹器(いき)は満(み)つるを以って覆(くつが)えり、
撲満(ぼくまん)は空しきを以って全(まっとう)す。

* 花看半開、酒飲微酔   花は半開を看、酒は微酔に飲む 何事もほどほどがよい、
という。

足ることを知る「知足」は すべての物事に溢れている現代においては
特に心に戒めておく言葉に思う。

 

中国古典一日一言 (PHP文庫 モ 1-4)

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