Blog

jinnsei2 jico


善(ぜん)を善(よ)みして用(もち)うる能(あた)わず、
悪(あく)を悪(にく)みて去(さ)る能わず

ー善善而不能用、悪悪而不能去ー   管子
(菅子:二十四巻。春秋時代の前期、斉の桓公に仕えた宰相管仲とその門下の撰。
政治の大本は富民で、立法や布教はそれに次ぐということを説いている。)

 

{原文}
善善而不能用、
悪悪而不能去。

 

{書き下し文}
善(ぜん)を善(よ)みして用(もち)うる能(あた)わず、
悪(あく)を悪(にく)みて去(さ)る能わず。

善善

 

{意解}  
善を喜びながら、それを用いようとせず、
悪を憎みながら、それを退けることができない。 と訳せる。  

 頭では理解し口では語っても、実行が伴わない。
それを戒めた言葉である。  

 むかし、斉国の桓公がかつて滅びた郭という国の
領内を訪れた時のこと、 土地の遺老に、
「郭の滅びた原因は、どこにあると思うか」とたずねた。
遺老は「我が国の王は、善を喜び悪を憎むお方でございました。
それで滅びたのでございます」と答えた。

 不審に思った桓公が、 「そなたの申すとおりなら、郭の王は賢君であったといえよう。
それがなぜ滅びた原因だというのか」

遺老は、こう答えた。 「そうではありません。我が国の王は、
善を喜びながらそれを用いようとしませんでした。 悪を憎みながら、
それを退けることができませんでした。 これが滅びた原因でございます」と。  

口頭禅では、他に対する説得力に欠けるのである。

 「管子」は、管仲の著書であるとされているものの、
実際は戦国期の斉の稷下の学士たちの手によって
著された部分が多いと考えられている。

 管子の思想内容は豊富であり、一見雑然としている。
「雑家」の著作とも言われている。  

 

備考:
朱子家訓の冒頭に、より能動的な一文がある。
* 参考までに朱子学(極めて理論的)

朱子家訓  三十五
勿以善小而不為,
勿以悪小而為之。
君之所貴者,仁也。
臣之所貴者,忠也。
父之所貴者,慈也。
子之所貴者,孝也。
兄之所貴者,友也。
弟之所貴者,恭也。
夫之所貴者,和也。
婦之所貴者,柔也。
事師長貴乎礼也,
交朋友貴乎信也。
見老者,敬之;見幼者,愛之。
有徳者,年雖下于我,我必尊之。
不肖者,年雖高于我,我必遠之。
慎勿談人之短,切莫矜己之長。
讐者以義解之,怨者以直報之,随所遇而安之。
人有小過,含容而忍之。
人有大過,以理而諭之。
人有悪,則掩之。
人有善,則揚之。
処世无私讐,治家无私法。
勿損人而利己,勿妬賢而嫉能。
勿称忿而報横逆,勿非礼而害物命。
見不義之財勿取,遇合理之事則从。
詩書不可不読,礼義不可不知。
子孫不可不教,童僕不可不恤。
斯文不可不敬,患難不可不扶。
守我之分者,礼也。
聴我之命者,天也。
人能如是,天必相之。
此乃日用常行之道, 若衣服之于身体,
飲食之于口腹, 不可一日无也, 可不慎哉!

 

{書き下し文}
善が小さきことを以って為さぬことがないようにし、
悪の小さきことをもって為すことがないようにせよ。
君主の尊ぶところは仁なり。
臣下の尊ぶところは忠なり。
父の尊ぶところは慈なり。
子の尊ぶところは孝なり。
兄の尊ぶところは友なり。
弟の尊ぶところは恭なり。
夫の尊ぶところは和なり。
妻の尊ぶところは柔なり。
目上の者や師に仕えるには、礼を貴び、
朋友との交わりは信頼を貴べ。
老を見れば之を敬い、幼き者を見れば之を愛せ。
徳の有る者は、年少者であっても、必ず之を尊べ 。
不肖の者は、年長者であっても、必ず之を遠ざけよ。
慎んで、人の短所を談じることをなかれ、
決して己の長ずるところを誇ることなきように。
仇を抱くものは、義をもって之を解くようにし、
怨みを抱くものは、率直さをもって之に報い、
遇うところに随って(状況に応じて)之を安んじよ。
人に小さな過(あやま)ちあれば、容を含んで之を忍ぶべし(寛大な心でこれを許せ)
人に大きな過ちあれば、理を以って之を諭せ。
人に悪あれば、これを掩(おお)え。(庇いなさい)
人に善あれば、これを揚げよ。(称揚せよ)
私怨なくして世に処し、私法なくして家を納めよ 。
人を損ない、己を利することなかれ。人の賢を妬み、能に嫉(しっ)することなかれ。
私怨を抱き、報復することなかれ。礼を失し、物命を害うことなかれ。
不義(不正)の財を見れば、取る事なかれ。理にかなったことであれば、従え。
詩書を読まなければ、礼儀を知ることはできない。
子孫を教育しなければ、童僕を救い養うことはできない。
学問を敬わなければ、艱難を扶(たす)けることは出来ない。
我の本分を守る者は、礼である。
我の命を聴く者は天である。
人がこの(家訓の)ようにできれば、天は必ず之を知るところとなる。
このことを日々日常の中で実践し、 衣服をまとうように、 食事をするように、
一日たりとも怠ってはならない。 慎むように!  

身の引き締まる朱子家訓である。

朱子学の概要
朱熹はそれまでばらばらに学説や書物が出され
矛盾を含んでいた儒教を、 程伊川による性即理説
{性(人間の持って生まれた本性)がすなわち理であるとする}、
仏教思想の論理体系性、道教の無極及び禅宗の座禅への批判と
それと異なる静座(静坐)という行法を持ち込み、
道徳を含んだ壮大な思想にまとめた。

 そこでは自己と社会、自己と宇宙は、
“理”という普遍的原理を通して結ばれ、
理への回復を通して社会秩序は保たれるとした。

 なお朱熹の言う“理”とは、 「理とは形而上のもの、気は形而下のものであって、
まったく別の二物であるが、たがいに単独で存在することができず、
両者は“不離不雑”の関係である」とする。

 また、「気が運動性をもち、理はその規範・法則であり、
気の運動に秩序を与える」とする。

この理を究明することを「窮理」とよんだ。
朱熹の学風は 「できるだけ多くの知識を仕入れ、
取捨選択して体系化する」というものであり、
極めて理論的であったため、後に
「非実践的」「非独創的」と批判された。

しかし儒教を初めて体系化した功績は大きく、
タイム誌の「2000年の偉人」では
数少ない東洋の偉人の一人として評価されている。

 

中国古典一日一言 (PHP文庫 モ 1-4)

あわせて読みたい関連記事:

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

Related Article

  1. コメントはありません。

  1. トラックバックはありません。

沈琳 二胡 女人花

ナオンの言葉の散歩道

お願い

画像の説明文

最近の投稿

最近のコメント

    アクセス解析

    Ninja Tools