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牝鶏(ひんけい)の晨(あした)するは、
これ家の索(つ)くるなり

ー牝鶏之晨、惟家之索ー   書経ー牧誓(ぼくせい)
(書経:二十巻。「尚書」のこと。五経の一つ。堯、舜の伝説時代から夏、
殷を経て、周代に至る間の政治に関する記録。初めは単に「書」といったが、
宋代になって「書経」と呼ばれるようになった。)

 

{原文} 
牝鶏無晨。
牝鶏之晨、
惟家之索。    

 

{書き下し文}
牝鶏は晨する無し。
牝鶏の晨するは、
惟(これ)家の索(つ)くるなり。

牝鶏

 

 

{意解}
めんどりがおんどりに先んじて朝の時を告げる意。
女が男に代わって権勢をふるい、災いを招くたとえである。  

 むかしの中国は典型的な男尊女卑の社会であった。
女性は家庭の中に押し込められ、
社会的な存在としてはほとんどゼロに近かった。
「いまだ嫁(か)さずしては父に従い、すでに嫁しては夫に従い、
夫死しては子に従う」 である。
このことばも、そういう思想の反映にほかならない。

 今は中国も昔と違って男女の同権が保証されている。  

 殷王朝の末期、紂王(ちゅうおう)の無道によって
賢者の比干を殺し箕子を捕らるに及んで、
武王は兵を興し、紂討伐に出撃する。
自らの大義名分を天下に明らかにするための宣言を発した。
その中に書経に書かれている一句がある。
「牝鶏は晨することなし、牝鶏の晨するは、これ家の索(つ)くるなり」
簡単に言えば、
「カカア天下の家は滅びる」ということである。

 すなわち、紂王が妲己(だつき)への愛に溺れ、
妲己の言にひたすら従って、亡国の道に進んだことを指している。  
暴君が愛姫にうつつを抜かし、 政治をおろそかにして
実権を女性に握られ 亡国に至ったケースを
中国史・世界史・日本史で見かけるが、
今時、女性は政治に首を突っ込むべきでないなどといったら、
必ず多くの抗議が殺到することでしょう。
立派な女性政治家もいるわけですから。

 末子相続の伝統が残っていた牧畜狩漁民の殷にとって
母親の実権はまだまだ健在であり、
女がしっかりしていて家が亡びる訳がない。
女性が口出しして国が亡びるのは 吾が子を帝位につかせようとして
必死になる母親の性(サガ)であり、 その確執においては国が亡びもする。 

 勿論、出典の女性、妲己(だっき)は 気儘で虚栄心の高い
浪費癖・冷酷・淫靡と伝えられている。が
それは男であっても女であっても同じ次元の問題である。
 生まれは山東半島の東の端、有蘇(ゆうそ)氏の娘で、
何よりも彼女は友好の証しか、 隷属の貢物(みつぎもの)として
差し出された身であり、 彼女が紂王好みの女性であったとしても
軍事の口実に挙げるのは言いがかりとしか思えないかも、
武王にとって、かつて彼女は父・文王が羑里(ゆうり)に囚われ、
釈放された時の命の恩人でもありました。

 牝鶏之晨とは亀卜鶏索(きぼくけいさく)のことかも、
占いの巫女を亀卜鶏索の恨みに重ね合わせ、
牝鶏の晨を司(つかさ)すると悔蔑の対称としたとも言える。

「牝鶏之晨」はまた、
井戸端会議が意外な方向に発展しかねない
農耕を生活の基盤とする周の人々の
戒めの意味合いであったかもしれない。  

 

中国古典一日一言 (PHP文庫 モ 1-4)

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