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糟糠(そうこう)の妻(つま)は堂(どう)より下(くだ)さず

ー糟糠之妻不下堂ー   後漢書ー宗弘伝
(後漢書:百二十巻。本紀十巻、列伝八十巻は、南北朝時代、南朝宋の氾嘩の撰で、志三十巻は晋の司馬彪の続漢書から取っている。)

 

{原文}
貧賎之交不可忘
糟糠之妻不下堂。          

 

{書き下し文}
貧賎の交り忘るべからず、
糟糠の妻は堂より下さず。

 

糟糠

 

{意解}  
貧賤な身のときに知った友を忘れてはならず、
貧乏のときから辛苦を共にしてきた妻は、
成功を収めて富貴の地位に至ったとしても
大切にするべきであるということ。


人としてのあり方、清らかさ、誠実さを例えた言葉である。

(糟糠は、酒かすと米ぬかのことで粗末な食物の喩え)    

 後漢の光武帝に、未亡人の姉・湖陽公主がいた。
この姉は宗弘という重臣に想いを寄せる。
姉思いの光武帝は、ある日宗弘を呼んで、やんわりと打診した。
「下世話にも、富みては交わりを易え、
貴くしては妻を易うというそうだが、どう思うかね」
宗弘、答えて 

貧賤な身のときに知った友を忘れてはならず、粗末なものを食べて
苦労を共にした妻を正妻の座から下ろしてはならない
とのことでございます」と。

 宗弘の意向を確かめた光武帝は、
姉・湖陽公主に因果を含めてあきらめさせたという。


当時としては、特に高い位に就けば、

妻や妾をたくさん持っているのが普通であったが、
皇帝の姉ともなると、当然、妾では失礼なので、
正室にしなければならなくなる。

そうなると今まで連れ添ってきた、 妻を側室にするか
離縁するかしなければならなくなる。
それで、妻想い(?)の宋弘は、
妻の為にこの縁談を断ったのであろう。


「妻の功労あっての今の自分がある」  と言う、
そんな戒めのことわざでもある。  

もっとも、今は自分から出て行く女性も増えたように思えるが。  

 

中国古典一日一言 (PHP文庫 モ 1-4)

   

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