Blog

jinnsei2 cyakujitu

 

病(やまい)、膏肓(こうこう)に入(い)る
ー疾、在肓之上、膏之下ー    春秋左氏伝 成公十年
(左伝:三十巻。「春秋左氏伝」の略。魯の左丘明の撰と伝えられている。
「春秋」の注釈書で「左氏伝」ともいう。十三経の一つ。)

 

{原文}
公疾病。求醫于秦。
秦伯使醫緩爲之。
未至。公夢。
疾爲二竪子曰、彼良醫也。
懼傷我。焉逃之。
其一曰、 居肓之上、
膏之下、若我何。
醫至。曰、疾不可爲也。
在肓之上、膏之下。
攻之不可。達之不及。
藥不至焉。不可爲也。
公曰、良醫也。 厚爲之禮而歸之。

 

{書き下し文}
公(こう)疾(やまい)病(へい)なり。
医(い)を秦(しん)に求(もと)む。

秦伯(しんぱく)医(い)の緩(かん)をして
之(これ)を為(おさ)めしむ。

未(いま)だ至(いた)らず。
公(こう)夢(ゆめ)みる。

疾、二(に)竪子(じゅし)と為(な)りて曰く、
彼は良医(りょうい)なり。

懼(おそ)らくは我(われ)を傷つけん。
焉(いずく)にか之を逃(のが)れん、と。

其(そ)の一(いち)曰く、
肓(こう)の上、膏(こう)の下に居(お)らば、

我(われ)を若何(いかん)せん、と。
医(い)至(いた)る。曰く、
疾(やまい)は為(おさ)む可(べ)からず。

肓(こう)の上、膏(こう)の下に在(あ)り。
之を攻(せ)むるも可(か)ならず。
之を達(たっ)せんとするも及(およ)ばず。

薬(くすり)は至(いた)らず。
為(おさ)む可(べ)からず。

公曰く、良医なり、と。
厚(あつ)く之が礼(れい)を為(な)して之を帰(かえ)す。

 

膏肓

備考:
{「膏」は心臓の下部、「肓」は隔膜の上部} 1 からだの奥深いところ。
ここに病気が入ると治らないという。 2 漢方の経穴(けいけつ)の一。
背中の第4胸椎下から、大人で約6センチの所。

 

 

{意解}  
むかし、晋の景公が重い病に倒れた時のことである。
隣国の秦から高緩(こうかん)という名医を呼んで診察を仰ぐことにした。
その前の晩、景公は夢を見た。

病が二人の童子(どうじ)の姿を借りて、こんな話をしているのである。
「秦から高緩がやってくるそうだ。いよいよ俺たちも危ないな。
一体どこへ逃げたらよいのか」
「肓(横隔膜)の上、膏(心臓の下の薄い膜)の下なら安全だ。
あそこへ逃げ込もう」  

 さて、翌日高緩がやってきて、さっそく診察にかかった。
そして診(み)おわると 「誠に申し上げにくいのですが、
病は肓の上、膏の下に入り込んでおります。
ここは鍼(はり)も薬も届かぬところ、
もはや治療のしようがございません」と語った。
景公は間もなく死んだという。  
 
 病気だけではない。
どんな仕事でも、 病、膏肓に入らぬうちに、
早めに手を打つことを心がけなければならない。

 

 

春秋三伝

 

備考: 春秋左氏伝 『春秋左氏伝』は、孔子の編纂と伝えられる歴史書『春秋』の代表的な注釈書の1つで、 紀元前700年頃から約250年間の歴史が書かれている。 通称『左伝』。『春秋左伝』、『左氏伝』ともいうことがある。 現存する他の注釈書として『春秋公羊伝』、『春秋穀梁伝』とあわせて春秋三伝と呼ばれている。

春秋学―公羊伝と穀梁伝 (研文選書)  

中国古典一日一言 (PHP文庫 モ 1-4)

あわせて読みたい関連記事:

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

Related Article

  1. コメントはありません。

  1. トラックバックはありません。

沈琳 二胡 女人花

ナオンの言葉の散歩道

お願い

画像の説明文

最近の投稿

最近のコメント

    アクセス解析

    Ninja Tools