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逆境を

 

百年河清かせい

ー百年俟河清ー     左伝 襄公八年
今回は「左伝」襄公(じょうこう)八年からの出典です。
(春秋左氏伝:三十巻。魯の左丘明の撰と伝えられている。
「春秋」の注釈書で「左氏伝」ともいう。十三経の一。)

{原文}
子駟曰、
周詩有之、曰、
俟河之清人壽幾何。
兆云詢多、職競作羅。

{書き下し文}
子駟(しし)曰(いわ)く、
周詩(しゅうし)に之(こ)れ有(あ)り、曰(いわ)く、
河(か)の清(す)むを俟(ま)つも、人寿(じんじゅ)幾何(いくばく)ぞ。
兆(ちょう)して云(ここ)に詢(はか)ること多(おお)ければ、
職(しょく)として競(きそ)いて羅(あみ)を作(な)す、と。

*備考
・子駟:日和見主義な宰相であったようだ。
・周詩 … 逸詩。今の『詩経』にはない。
・兆 … 占うこと。
・詢 … 謀る。
・職競 … 自分の謀をよしとして競い合うこと。
・作羅 … 網にかかって身動きがとれなくなる。

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{意解}
 いくら待っても仕方のないとき、「百年河清を待つ」ようなものだと言う。
原文では「百年」の言葉は見当たらない。「河清」の「河」は黄河を指す。

 黄河は、いつも濁っていて澄む時がない。
そこからこの言葉が生まれたが、元々は「左伝」の次の話が出典元である。

 春秋時代、黄河流域に鄭(てい)という小さな国があった。
当時、北には晋、南には楚(そ)という二大強国があって、
他の諸国はいずれもこの両大国の圧力を受けて存続を脅かされていた。

 鄭が楚の侵攻を受けたときのこと、
重臣たちは降伏派と、晋の来援に期待してあくまで戦うべしとする抵抗派と、二派に分かれた。
そのとき、降伏派の一人(子駟)が、
「河の清(す)むを俟(ま)たば、人寿(じんじゅ)、幾何(いくばく)ぞ」
という古詩を引いて、強硬に降伏論を主張した時のことばだという。

 晋の援軍を待つのは、「河清を俟つ」ようなもので、 
人間の寿命はどのくらい必要か!(いくらあっても足りないであろう)

 占いでも伺うことが多すぎると、
網にかかったように身動きが取れなくなってしまうではないか、というのである。

他の助けを当てにするのは「河清を俟つ」になる事の方が多いようである。

 

*「中国古典一日一言」守屋洋(著)をもとに、
自分なりに追記や解釈して掲載しています。

 

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沈琳 二胡 女人花

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