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逆境を

徳(とく)は孤(こ)ならず、必(かなら)ず隣(となり)あり
ー徳不孤、必有隣ー     論語 里仁第四 二十五

今回は「論語」里仁第四 二十五 からの出典です。
(論語:孔子と彼の高弟の言行を孔子の死後、弟子達が記録した書物である。
「孟子」「大学」「中庸」と併せて儒教における「四書」の1つに数えられる。
512の短文が全20編で構成されている)

 

{原文}
子曰、
徳不孤、必有隣

{書き下し文}
子曰く、
徳は孤ならず、必ず隣あり

 

8966728

 

{意解}
「徳とは、孤立した孤独なものでは無く、それを認めてくれる人が、きっと周囲にあらわれる。」

 人はおうおうにして、自ら学び得たことや、技量が世間に省みられず、
認められないことは耐え難いことである。

 それまで己の主義主張や心操を曲げて、世間に妥協し
世間に迎合してしまいがちになることも少なくない。

 しかし、意志堅固に道を求め続け、学において究め続けていれば、
身に光は備わりおのずから理解者は現れ、支持する人も出てくるものです。

 ━━━━!!これは孔子の確信であったに違いありません。

 しかし、孔子その人の生涯は、普通の人間から見れば、決して恵まれたものではなかった。
若い時、政治に志を立てたが、政治に参画したのは五十歳を超えてから。

 だが、わずか四年で失脚、それからの十四年間は諸国を歴訪して自ら理想とする政治の実現を図ったが、
ことごとく徒労に終わっている。

 孔子の人生には、孤立の影が色濃く漂っていたのである。

しかし、そんな孔子が「徳は孤ならず、必ず隣あり」と言い切ったところに意味があるのかもしれない。

 この言葉は現実の指摘ではなく、
悲願の告白であったと解するのが妥当かも知れません。

               徳不孤、必有隣
「徳とは、孤立した孤独なものでは無く、それを認めてくれる人が、きっと周囲にあらわれる」

徳(ウィキペディア)
 *儒教的徳
儒教的徳は人間の道徳的卓越性を表し、
具体的には仁・義・礼・智・信の五徳や孝・悌・忠の実践として表される。
儒教思想において重要な規範的価値は、生まれによってではなく
その人の徳の現れた実際の量の結果によって
社会的地位が決せらるべきであるということである。

 *道家の徳
道家の徳は、根本的実在である「道」の万物自然を生成化育する働きを表す。
「老子」の「道徳経」である。

 *西洋古典世界の基本的な徳は、
思慮、叡智
正義
忍耐、勇気
節制

である。これは、ギリシア的な教養に由来する。

 *キリスト教の徳
キリスト教において神学的徳は、コリント書13:13に由来する信仰、希望、愛 (charity) である。
これらは、神と人間への愛を完全にするという特殊な慣習的意味を持っている。
これら徳の調和とこれらへの思慮の相伴が主張され、キリスト教神学の特色をなす。

 

 中国古典一日一言 (PHP文庫 モ 1-4)


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