第二章
徳を樹つるには滋きを務め、悪を除くには本を務む
ー樹徳務滋、除悪務本ー 書経 周書 泰誓 下
(書経:二十巻。「尚書」のこと。五経の一つ。堯、舜の伝説時代から夏、
殷を経て、周代に至る間の政治に関する記録。初めは単に「書」といったが、
宋代になって「書経」と呼ばれるようになった。)
{原文}
樹徳務滋、
除悪務本。
{書き下し文}
徳を樹つるには滋きを務め、
悪を除くには本を務む
{意解}
徳を身につけるにはどうすればよいか。よいことはどんな小さなことでもバカにしないで、大きく育てるように努力することだ。 また、
悪を取り除くには、枝葉末節は放っておいてまず根元を掘り返して取り除くことだという。
人間の修養について語った言葉である。たしかに人格(徳)の形成は、 一つ一つの行動の積み重ねである。それはあたかも木を育てるようなものであろう。種まき、水やり、手入れをし、 そうやって何本も育てていく。その結果形成されるのが、人格である。
その手間を惜しんでいたのでは、立派な人格の形成はあり得ない。逆に、悪の方は、 芽生えのうちから根こそぎ抜いてしまう。根が残っていたのでは、 必ずまた頭をもたげてくるからだ。
これを社会的な視野から言えば、小さな善行の積み重によってより良い社会を築き、
悪は、雑魚ばかり追いかけ回さないで、巨悪の根源を絶つという発想にほかならない。
周国の武王が殷国の紂王を討伐したとき、自ら率いる討伐軍の将兵に向かって語りかけた言葉の中に出てくる。 紂王の悪業、さらに紂王その人を指して「悪を除くには本を務む」 妥協せず、徹底的に滅ぼしてしまえということだ。武王の不退転の決意を表明した言葉でした。何事も、中途半端、応急手当で留めておけば、後々、大きな歪に至るということであろう。
管子に「善を善みして用うる能わず、悪を悪みて去る能わず」とある。善を喜びながら、それを用いようとせず、悪を憎みながら、それを退けることができない。 と訳せる。頭では理解し口では語っても、実行が伴わない。それを戒めた言葉である。
朱子家訓に「善が小さきことを以って為さぬことがないようにし、悪の小さきことをもって為すことがないようにせよ。」ともある。
*参考資料:「中国古典一日一言」守屋洋(著)をもとに、
自分なりに追記や解釈して掲載しています。
私たちは、日々、何をするにしても
大なり小なり、決断(選択)をしている
その折々に思い出し、
より善い選択(決断)ができるように
貴方も私も 在りたいですね。