中国古典 名言に学ぶ 総集編 販売ページ 

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後悔の少ない人生を送るために!


中国古典の名言を私なりに解りやすく
原文、書き下し文、意解、画像でまとめました。

私たちは、日々、何をするにしても
大なり小なり、決断(選択)をしています。
その折々に思い出し、その場における最善の選択(決断)の
一助にしていただければ幸いです。

他人の事は長所も短所も見えますが、
己の事を客観的に自覚するのは難しいものです。
名言の云わんとしている事を意解し、目に焼き付ける(画像)事ができれば、
己に落とし込む事ができれば、
「後悔先に立たず」を少しでも減らす事ができるのではと思います。

古希を目前にして振り返れば、
その折々により善い選択(決断)が出来なかった事、
心ならずも人の心を傷つけてしまった事に、
後悔の思いは数知れず、走馬灯のように過ります。
私のように後悔先に立たずという思いは
読者には少しでも避けてほしいとの思いで総集編を作成しました。

中国古典 名言に学ぶ 総集編
第一章 大きく生きる 37タイトル
第二章 自己を高める 79タイトル
第三章 社会を考える 24タイトル
第四章 着実に生きる 41タイトル
第五章 逆境を乗り切るための心得 18タイトル
第六章 成功の心得 53タイトル
第七章 人と接するための心得 48タイトル
第八章 リーダーの心得 72タイトル
計 372タイトル(393ページ)

きっと今までの自分の行動、選択、決断が最善であったのかが診えてきます。
己を知り、省みる事を気付かせてくれます。
自分を磨く為に何をするべきか、
この372タイトルから学び、自分の身に浸み込ませ、
事上に於いて最善の選択(決断)の一助にしていただければ幸いです。

 

抜粋:

  第一章


上善じょうぜんみずごと

ー上善如水ー      老子 第八章
(老子:二巻八十一章。道家の祖。老耽の撰と伝えられるが、
老耽が実在したか否かは明らかではない。人為、虚飾を去って、
無為自然であるべきことを説いている。別名「道徳経」)

{原文}
上善如水
水善利万物而不爭。

処衆人所惡、故幾於道。
居善地、心善淵、與善仁、
言善信、政善治、事善能、動善時。
夫唯不爭、故無尤。

{書き下し文}
上善じょうぜんみずごとし。
みず万物ばんぶつしくしかしてあらそわず。

衆人しゅうじんにくむところにかたづきて、みちいてちかし。
おりて、心善こころよひろめ、ひとしみをあたえ、
しんい、おさめをまつり、ことかない、ときうごけ。
唯争ただあらそわず、ゆえとがし。

{意解}
最も理想的な生き方は水のようなもの、
水はあらゆるものにメリットを与え、他のものとは争わない。
人々の嫌うところを処理してくれ、「道」に近いものである。
一番善いところに住み、心を善く広く持ち、善い慈しみを与え、
善い言葉を語り、善い政治を行い、善い結果を出し、最も善い時に動くもの。
およそ争わないので恨まれることもないのである。

「上善」とは、最も理想的な生き方。
そういう生き方をしたいと願うなら、
水のあり方に学べというのである。

水には、学ぶに足る特徴が三つある。

第一に、きわめて柔軟であることだ。四角な器に入れれば四角な形になるし、
丸い
器に入れれば丸い形になる。器なりに形を変えて、少しも逆らわない。

第二に、低いところに身を置くのは誰でもいやがることだが、
水は、人の嫌がる低い所、
低い所へと流れていく。
つまり、すこぶる謙虚である。自分の能力や地位を誇示しようと
しない。

第三に、ものすごいエネルギーを秘めている。急流ともなれば、
硬い岩石をも打ち砕い
てしまう。

このように、水は柔軟、謙虚、秘めたるエネルギーの三つの特徴を持っている。
人間もそれを身につけることができれば、
理想の生き方に近づけるのだという。

備考:
老子
老子(ろうし)は、古代中国の哲学者であり、道教創案の中心人物。
「老子」の呼び名は「偉大な人物」を意味する尊称と考えられている。
書物『老子』(またの名を『老子道徳経』)を書いたとされるが
その履歴については不明な部分が多く、実在が疑問視されたり、
生きた時代について激しい議論が行われたりする。
道教のほとんどの宗派にて老子は神格(en)として崇拝され、
三清の一人である太上老君の神名を持つ。

中国の言い伝えによると、老子は紀元前6世紀の人物とされる。
歴史家の評は様々で、彼は神話上の人物とする意見、
複数の歴史上の人物を統合させたという説、
在命時期を紀元前4世紀とし、
戦国時代の諸子百家と時期を同じくするという考えなど多様にある。

老子は中国文化の中心を為す人物のひとりで、
貴族から平民まで彼の血筋を主張する者は多く李氏の多くが彼の末裔を称する。
歴史上、彼は多くの反権威主義的な業績を残したと受け止められている。
                     老子:ウィキペディアより引用

*参考資料:「中国古典一日一言」守屋洋(著)をもとに、
自分なりに追記や解釈して掲載しています。

私たちは、日々、何をするにしても
大なり小なり、決断(選択)をしている
その折々に思い出し、
より善い選択(決断)ができるように
貴方も私も 在りたいですね。

 

  第二章


そのひかりやわらげ、そのちりおなじうす

ー和其光、同其塵ー   老子 玄徳 第五十六
(老子:二巻八十一章。道家の祖。老耽の撰と伝えられるが、
老耽が実在したか否かは明らかではない。
人為、虚飾を去って、無為自然であるべきことを説いている。別名「道徳経」)

{原文}
知者不言、言者不知。
塞其兌、閉其門、
挫其鋭、解其紛、
和其光、同其塵
是謂玄同。
故不可得而親、不可得而疏。
不可得而利、不可得而害。
不可得而貴、不可得而賤。
故爲天下貴。

{書き下し文}
知る者は言わず、言う者は知らず。
そのあなふさぎて、その門を閉し、
そのえいくじいて、そのふんき、
そのひかりやわらげて、そのちりおなじうす。
これを玄同げんどうう。
ゆえに得て親しむべからず、得てうとんずべからず。
得てすべからず、得てがいすべからず。
得てたっとぶべからず、得ていやしむべからず。
ゆえに天下のたっときとなる。

{意解}
道を体得した人物は、知識をひけらかさない。
知識をひけらかすような人物は、道を体得しているとはいえない。
本当に理解している人はそれらについて話さない。
べらべらと語りたがる者はまだ理解が足りないのだ。
本当に道理が解っている人間は耳目や口を塞いで
余計な知識の出入り口を閉ざし、
鋭敏な感覚を鈍くして意識のもつれを解きほぐし、
自らの輝きを和らげて何でもない塵と一つになる。
これを神秘なる同一と言う。
この同一を得た人は、近づいて親しむ事もできず、
遠ざけて疎遠にする事もできない。
利益を与える事もできなければ、損害を与える事もできない。
敬って尊ぶ事もできなければ、卑しんで侮る事もできない。
そうしてこの世で最も貴い存在(理想的な存在)となっている。  

知恵の光を和らげ、俗世と同化させる。
老子の「和光同塵わこうどうじん」である。
ひかり」とは、才能、知識といった意味であり、
ちり」とは、私達が暮らす世俗のことである。
「才能を包み込んで俗世と同調する」 という意味になる。  

万物の根源に「たう」(真理の道)の存在を認め、
この「道」より万物が生み出されてくる と「老子」は考えた。  
「道」はそれ程偉大な働きをしながらも、 私たちに存在を感じさせず、
いつも静かにたたずんでいるのだと語る。

 「和光同塵わこうどうじん」という言葉は そういう「たう」のあり方を説明している。  

要は、人間、自分の才能をひけらかしたり、
「おれが、俺が」と出しゃばるような生き方をせず
」のこういう偉大な徳を身につけることができれば  
どんな時代でも、生き抜いていくことができると いている。

*「中国古典一日一言」守屋洋(著)をもとに、
自分なりに追記や解釈して掲載しています。

私たちは、日々、何をするにしても
大なり小なり、決断(選択)をしている
その折々に思い出し、
より善い選択(決断)ができるように
貴方も私も 在りたいですね。

 

  第八章

まさにおおいにすあらんとするきみは、かならさざるところしんあり

ー将大有為之君、必有所不召之臣ー  孟子 公孫丑章句下
孟子もうし:七編。戦国中期の儒家孟軻もうかの言行や学説を編集したもの。
性善説や王道論は有名。四書の一つ】

原文:
將大有爲之君、必有所不召之臣
欲有謀焉則就之。
其尊德樂道、不如是不足與有爲也。
故湯之於伊尹、學焉而後臣之、故不勞而王。
桓公之於管仲、學焉而後臣之、故不勞而霸。
今天下地醜德齊、莫能相尚。無他。
好臣其所敎、而不好臣其所受敎。
湯之於伊尹、桓公之於管仲、則不敢召。
管仲且猶不可召、而況不爲管仲者乎。

書き下し文:
まさにおおいにすあらんとするきみは、かならさざるところしんあり。
はかるらんとほつせば、すなはこれく。
とくたつとみちたのしむことかくごとくならずんば、くみあるらざるなり。
ゆえたう伊尹いいんける、まなびてしかしてのちこれしんとす。ゆえらうせずしておうたり。
桓公かんこう管仲かんちゅうける、まなびてしかしてのちこれしんとす。ゆえろうせずしてたり。
いま天下てんかみにくとくひとし、よくあいくはふなきは、なし。
おしえところしんとするをこのみ、しかしてをしへうくところしんとするをこのまざればなり。
とう伊尹いいんける、桓公かんこう管仲かんちゅうける、すなはあへさず。
管仲かんちゅうすらからず、しかるをいはん管仲かんちゅうさざるものをや。

 

意解:
「将来、大事業を成し遂げようとする君主には、必ず呼びつけにできない臣下がいる」

過去の例を見ても、然りである。例えば、
いんの名相伊尹いいんは、殷の湯王とうおうを助けて夏の桀王けつおうを討ち、殷王朝建設に尽力。
湯王はこれをたっとんで阿衡あこう(摂政・関白の異称)と称した。
春秋時代に最初の覇者となった桓公かんこうには、管仲かんちゅうという名補佐役がついていた。
桓公は臣下の管仲を「仲父ちゅうほ」とうやまって教えを受けたという。

また、「三国志」の劉備りゅうびも、「三顧さんこの礼」をはらって諸葛孔明しょかつこうめいを軍師に迎え、以後、
作戦計画の立案策定は挙げて孔明に委ねている。

だが、並のトップにはこれができない。「孟子もうし」も、こう言ってなげいている。
「今、各国の王はいずれもどんぐりの背比べで、傑出けっしゅつした者がいない。
それというのも、自分以下の人間だけを臣下にしたがり、
自分より優れた人物を臣下にしたがらないからだ」

呼びつけにできる臣下にばかり取り囲まれていたのでは、
大きな仕事などできないばかりか、
人間的な堕落だらくまで招きかねない。

*参考資料:「中国古典一日一言」守屋洋(著)をもとに、
自分なりに追記や解釈して掲載しています。

私たちは、日々、何をするにしても
大なり小なり、決断(選択)をしている
その折々に思い出し、
より善い選択(決断)ができるように
貴方も私も 在りたいですね。

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ナオン について

美容業界での長年のマネージメント能力を活かし、悩み相談、マネージメント、又人生の選択時により善い選択(決断)の一助になればと中国古典の「意解」に取り組んでます。役に立てて喜ばれる事が励みです。
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