己を修めて人を責めざれば、則ち難より免る|中国古典 名言に学ぶ

己を修めて人を責めざれば、則ち難より免る

己を修めて人を責めざれば、則ち難より免る

第四章

おのれおさめてひとめざれば、すなわなんよりまぬか

ー修己而不責人、則免於難ー  左伝
【左伝:三十巻。「春秋左氏伝」の略。魯の左丘明の撰と伝えられている。
「春秋」の注釈書で「左氏伝」ともいう。十三経の一つ】

原文、
修己而不責人、
則免於難。

書き下し文:
おのれおさめてひとめざれば、
すなわなんよりまぬかる。

己を修めて人を責めざれば、則ち難より免る

己を修めて人を責めざれば、則ち難より免る

意解:
春秋時代のこと、晋の献公けんこうは先妻の子の申生しんせいを太子に立てていたが、愛妾あいしょう驪姫りき奚斉けいせいという子を生んだことから、申生に替えてこちらのほうを太子にすえたいと考えた。その動きは、当然、申生の耳にも入ってくる。不安にかられる申生を、重臣の一人がなだめるときに使ったのが、表題のことばである。

与えられた職責を尽くし、行動を慎んで相手側につけ入る隙きを与えず、批判がましいことはいっさい口にしない。そうすれば、廃嫡はいちゃくなどという事態をまぬがれることができるでしょう、というのだ。

申生はその通りに振舞ったが、結局、驪姫の陰謀いんぼうにはめられて、自害に追い込まれてしまう。このアドバイスが間違っていたわけではない。平常な世界なら、これでよいだろう。だが、権謀術数けんぼうじゅつすうの渦巻くなかを生き残るためには、これにプラス、相手の企みを粉砕するだけのバイタリティを必要とする。きれいごとだけでは、生き残れないということかもしれない。

また、重臣に劉邦りゅうほうに仕えた張良ちょうりょうのような軍師がいたならば、
違った結果になったかもしれないが・・・

孟子 公孫丑章句下に「まさに大いに為すあらんとする君は、必ず召さざる所の臣あり」とある。将来、大事業を成し遂げようとする君主には、必ず呼びつけにできない臣下がいる。蜀の劉備りゅうびも、「三顧さんこの礼」をはらって諸葛孔明しょかつこうめいを軍師に迎え、以後、作戦計画の立案策定は挙げて孔明に委ねている。呼びつけにできる臣下にばかり取り囲まれていたのでは、大きな仕事などできないばかりか、人間的な堕落だらくまで招きかねない。と云っている。

*参考資料:「中国古典一日一言」守屋洋(著)をもとに、
自分なりに追記や解釈して掲載しています。

私たちは、日々、何をするにしても
大なり小なり、決断(選択)をしている
その折々に思い出し、
より善い選択(決断)ができるように
貴方も私も 在りたいですね。

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