忠信以ってこれを得、驕泰以ってこれを失う|中国古典 名言に学ぶ

忠信以ってこれを得、驕泰以ってこれを失う50,96

忠信以ってこれを得、驕泰以ってこれを失う50,96

第八章

リーダーの心得

忠信ちゅうしんってこれを驕泰きょうたいってこれをうしな

ー忠信以得之、驕泰以失之ー  大学 傳十章 16
【大学:一巻。もと「礼記」中の一篇であったが、宋代以降、
単行本として独立し、朱熹がこれを四書の一としたことから、
特に広く読まれるようになった】

原文:
見賢而不能挙、挙而不能先、命也。
見不善而不能退、退而不能遠、過也。
好人之所悪、悪人之所好、是謂払人之性。
災必逮夫身。是故君子有大道。
忠信以得之、驕泰以失之

書き下し文:
けんを見てぐることあたわず、挙げてさきんずること能わざるはおこたるなり。
不善ふぜんを見て退しりぞくること能わず、退けて遠ざくること能わざるはあやまちなり。
人のにくむ所をこのみ人の好む所を悪む、これを人のさがもとるとう。
わざわい必ずその身におよぶ。これゆえに君子大道あり。
必ず忠信ちゅうしんってこれを驕泰きょうたいってこれをうしなう。

もとる:反する。道理にそむく。

忠信以ってこれを得、驕泰以ってこれを失う50,96

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意解:

賢人けんじんを見て採用することができず、採用してもこれを活用することができないのは、
主君の怠慢たいまんである。
不善を見て退けることができず、退けて遠くに追い払うことができないのは、
主君の過失かしつである。
人が憎んでいることを好んでする、人が好んでいることを嫌ってしない、
これは人間の本性・道義にもとるといわれる振る舞いである。
そういった本性にもとる行為をしていると、災いが必ずその身に及ぶことになる。
このため、君子には仁義じんぎの大道があるのである。
必ず真心を忘れずに忠義・誠実を尽くせば天下を得るが、
驕慢きょうまんになって我がまま放題をすれば必ず天下を失うことになる。

もとる:そむく。反する
驕慢きょうまん:おごりたかぶること。人をあなどって勝手にふるまうさま。

これも上に立つ者の心構えを語った言葉である。
「忠」のもともとの意味は、君(君主)に対する忠ではなく、自分に対する忠である。
つまり、自分をあざむかないこと。「しん」とは、嘘をつかないという意味。
故に、「忠信ちゅうしん」で、誠実とか真面目といった意味になる。
また、「きょう」は人を見下すこと、「たい」は勝手気儘きまま、デタラメという意味だ。

これを、これをうしなうの「これ」は、「人々の支持」と解することができる。
だから、ことば全体の意味は、人々の支持を集めるには、「忠信ちゅうしん」を必要とし、
逆に、人々の支持を失うのは、「驕泰きょうたい」が原因である、となる。

忠信ちゅうしん」が果たして十分条件であるかどうかについては、疑問もないではない。
だが、「驕泰きょうたい」によって墓穴を掘ったリーダーの例は、無数にある。できるだけ、「忠信ちゅうしん」をむねとし、「驕泰きょうたい」にならぬよう自らをいましめる、これもまたリーダーにとっては必要な心構えであろう。

論語 泰伯 第八では「士は以って弘毅ならざる可からず」とある。リーダーの立場にある人間は、「弘毅こうき」でなければならないのだという。「こう」とは広い見識、「」とは強い意志力である。広い見識をもたなかったら、視野狭窄症しやきょうさくしょうにおちいり、たちまち壁にぶつかってしまう。また、強い意志力を身につけていなかったら、困難にぶつかった場合、粘り強く打開していくことができない。いずれもリーダーに必要な要素なのである。と云っている。

*参考資料:「中国古典一日一言」守屋洋(著)をもとに、
自分なりに追記や解釈して掲載しています。

私たちは、日々、何をするにしても
大なり小なり、決断(選択)をしている
その折々に思い出し、
より善い選択(決断)ができるように
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