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天網恢恢、疎にして失わず|中国古典 名言に学ぶ

          第五章 天網恢恢てんもうかいかい、疎そにして失うしなわず ー天網恢恢、疎而不失ー  老子 第七十三章(老子:二巻八十一章。道家の祖、老耼ろうたんの撰と伝えられるが、老耼が実在したか否かは明らかではない。人為、虚飾を去って、無為自然であるべきことを説いている。別名「道徳経」) {原文} 勇於敢則殺、 勇於不敢則活。 此兩者、或利或害。 天之所惡、孰知其故。 是以聖人猶難之。 天之道、不爭而善勝、不言而善應、 不召而自來、繟然而善謀。 天網恢恢、疏而不失。 {書き下し文} 敢あえてするに勇ゆうなれば則すなわち殺ころされ、 敢えてせざるに勇なれば則ち活かさる。 この両者、或あるいは利りあり、或あるいは害がいあり。 天の悪にくむ所、孰いずれかその故ゆえを知らん。 是これを以もって聖人すら猶なお之これを難かたしとす。 天の道は、争あらそわずして善よく勝ち、言わずして善く応おうじ、 召めさずして自ら来きたし、繟然せんぜんとして善く謀はかる。天網てんもう恢恢かいかい、疏そにして失うしなわず。 *繟然せんぜん:自然にゆったりとしている*恢恢かいかい:大きく広く包み入れるさま {意解} 本当の意味の善悪は、人には計り知れない、私たちが今、目にする表面的な「勇於敢則殺、勇於不敢則活。」はそれぞれ時と場合によって良いとされたり悪いとされたりする。人間がその是非を判断するのは困難である。天の判断については人の身では理解を超えていて、これは聖人でさえも知ることは困難である。 「老子」によれば、「天道」則ち天の法則性は人間社会にくまなく行き渡っており、誰もそれからは逃れることはできないのだという。しかもその「天道」は、人間からは容易にうかがい知ることができない。大いなる天のやり方(天道)は、争わずに勝利し、言葉を用いずに応え、呼びよせずに自ら来させ、ゆったりとしながら遠大な計画を内に秘める。この「天道」の具体的な現れが「天網てんもう」である。天が悪を捕える網は、粗い目をしているように見えて悪を決して逃しはしない。と。悪が栄えている事態にであったとき、人々はこの言葉を心につぶやいて、自分を慰めてきたのだろうか。 *参考資料:「中国古典一日一言」守屋洋(著)をもとに、自分なりに追記や解釈して掲載しています。 私たちは、日々、何をするにしても大なり小なり、決断(選択)をしているその折々に思い出し、より善い選択(決断)ができるように貴方も私も 在りたいですね。

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