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巧詐は拙誠に如かず|中国古典 名言に学ぶ

巧詐は拙誠に如かず

巧詐は拙誠に如かず

第七章

巧詐こうさ拙誠せつせいかず

ー巧詐不如拙誠ー  韓非子 説林上第二十二
【韓非子:二十五巻五十五篇。戦国時代の韓非の撰。先秦時代の法家の学を集大成し、
それに韓非の考えを加えたもの。はじめ「韓子」と称したが、
宋以後、唐の韓愈と区別するため「非」の字を加えたもの】

原文:
巧詐不如拙誠

書き下し文:
巧詐こうさ拙誠せつせいかず

巧詐は拙誠に如かず

巧詐は拙誠に如かず

意解:
同義語に「巧偽拙誠こうぎせつせい」がある。
巧詐こうさ」「巧偽こうぎ」は、巧みにごまかして表面を取り繕うような方法。
一見、良い策に思えるが、かえって周りの反発を買ってしまう。

拙誠せつせい」とは、つたなくても心のこもった真面目なやり方。
愚直ぐちょくと言ってよいかもしれない。

自分の人生を歩んでいく上で、必要なのは「巧詐」ではなく「拙誠」だというのが、「巧詐は拙誠に如かず」の意味である。「巧詐」は色んな状況下で、人の目をごまかし、一時を糊塗ことできるかもしれない。だが、ごまかしやペテンは、いずれ必ず馬脚ばきゃくをあらわす。
その点、「拙誠」はじわじわと人の心を捉える。長い目で見ると、「巧詐」よりも「拙誠」のほうが勝っているようだ。

ある意味で、現代は「巧詐」のもてはやされる時代だと言ってよいかもしれない。だが、人間関係の基本は、昔も今もそんなに変わっているわけではない。「巧詐」よりも「拙誠」を求める気持ちは現代でも強く生き続けているのではないだろうか。

真実の言葉は苦く耳に快く響かない、飾り気のある耳に快い言葉は真実味がない、
老子も語っている

糊塗こと:あいまいに取り繕っておくこと
馬脚ばきゃく:偽り隠していたものが表れる

*参考資料:「中国古典一日一言」守屋洋(著)をもとに、
自分なりに追記や解釈して掲載しています。

私たちは、日々、何をするにしても
大なり小なり、決断(選択)をしている
その折々に思い出し、
より善い選択(決断)ができるように
貴方も私も 在りたいですね。