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ただ有道者のみ能く患をいまだ形れざるに備う|中国古典 名言に学ぶ

第八章 ただ有道者ゆうどうしゃのみ能よく患わざわいをいまだ形あらわれざるに備そなう ー唯有道者、能備患於未形也ー  管子 牧民 六親五法 【荀子:二十巻。戦国時代末期の学者、荀況の書。荀況は孟子に次ぐ大儒。 孟子の性善説に対して、荀況は性悪説を唱えた】 原文: 唯有道者、 能備患於未形也。 故禍不萌。 書き下し文: ただ有道者ゆうどうしゃのみ、 能よく患わざわいをいまだ形あらわれざるに備そなう。 故ゆえに禍わざわい萌きざさず。 意解: 「有道者」とは、すばらしい徳と能力をもった人物のことである。この場合は立派な指導者といった意味。そういう人物であってこそ、はじめて禍わざわいを未然に防ぐことができるのだという。その理由として「管子」は、つぎの二点をあげている。 一、時宜じぎ(ちょうどよい時)を得た対策を立てるので、常に大事に至らない。 一、公平無私な態度で臨むので、広く部下の支持を集めることができる。 その逆は、こうである。「指導者が優柔不断ゆうじゅうふだんであれば、その政策は常に後手を引く。 物欲ばかり旺盛なら、人心をつかめない。無能な人間を信頼したのでは、 心ある部下から見限られてしまう」これでは、禍わざわいを未然に防ぐ事はできないのだという。現代でも、当てはまる部分が多い。リーダーたる者、組織の安泰をはかろうとするなら、まず、みずからの徳と能力を磨け、ということだ。 戦国策 趙策二に「愚者は成事に闇く、智者は未萌に見る」とある。「成事せいじに闇くらい」とは、事態が顕著けんちょに現れてきても、その事に気ずかないということ。これでは、「愚者」といわれても返す言葉もない。対して、「智者」は、「未萌みほう」に見ることができる人だという。「未萌みほう」とは、「いまだ萌きざさず」、事態が表に現れてくる前の段階。その萌す前の段階で、動きを察知し、適切な対応を取れる人、そんな人が「智者」だという。 *参考資料:「中国古典一日一言」守屋洋(著)をもとに、 自分なりに追記や解釈して掲載しています。 私たちは、日々、何をするにしても 大なり小なり、決断(選択)をしている その折々に思い出し、 より善い選択(決断)ができるように 貴方も私も 在りたいですね。

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