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まさに大いに為すあらんとする君は、必ず召さざる所の臣あり|中国古典 名言に学ぶ

第八章 まさに大おおいに為なすあらんとする君きみは、必かならず召めさざる所ところの臣しんあり ー将大有為之君、必有所不召之臣ー  孟子 公孫丑章句下 【孟子もうし:七編。戦国中期の儒家孟軻もうかの言行や学説を編集したもの。 性善説や王道論は有名。四書の一つ】 原文: 將大有爲之君、必有所不召之臣。 欲有謀焉則就之。 其尊德樂道、不如是不足與有爲也。 故湯之於伊尹、學焉而後臣之、故不勞而王。 桓公之於管仲、學焉而後臣之、故不勞而霸。 今天下地醜德齊、莫能相尚。無他。 好臣其所敎、而不好臣其所受敎。 湯之於伊尹、桓公之於管仲、則不敢召。 管仲且猶不可召、而況不爲管仲者乎。 書き下し文: まさに大おおいに為なすあらんとする君きみは、必かならず召めさざる所ところの臣しんあり。 謀はかる有あらんと欲ほつせば、則すなはち之これに就つく。 其その德とくを尊たつとび道みちを楽たのしむこと是かくの如ごとくならずんば、與くみ爲なす有あるに足たらざるなり。 故ゆえに湯たうの伊尹いいんに於おける、学まなびて而しかして後のち之これを臣しんとす。故ゆえに労らうせずして王おうたり。 桓公かんこうの管仲かんちゅうに於おける、学まなびて而しかして後のち之これを臣しんとす。故ゆえに労ろうせずして覇はたり。 今いま天下てんかの地ち醜みにくく德とく齊ひとし、能よく相あい尚くはふる莫なきは、他たなし。 其その敎おしえる所ところを臣しんとするを好このみ、而しかして其その敎をしえを受うくる所ところを臣しんとするを好このまざればなり。 湯とうの伊尹いいんに於おける、桓公かんこうの管仲かんちゅうに於おける、則すなはち敢あへて召めさず。 管仲かんちゅうすら且かつ猶なほ召めす可べからず、而しかるを況いはんや管仲かんちゅうを爲なさざる者ものをや。 意解: 「将来、大事業を成し遂げようとする君主には、必ず呼びつけにできない臣下がいる」 過去の例を見ても、然りである。例えば、 殷いんの名相伊尹いいんは、殷の湯王とうおうを助けて夏の桀王けつおうを討ち、殷王朝建設に尽力。 湯王はこれを尊たっとんで阿衡あこう(摂政・関白の異称)と称した。 春秋時代に最初の覇者となった桓公かんこうには、管仲かんちゅうという名補佐役がついていた。 桓公は臣下の管仲を「仲父ちゅうほ」と敬うやまって教えを受けたという。 また、「三国志」の劉備りゅうびも、「三顧さんこの礼」をはらって諸葛孔明しょかつこうめいを軍師に迎え、 以後、作戦計画の立案策定は挙げて孔明に委ねている。 だが、並のトップにはこれができない。「孟子もうし」も、こう言って嘆なげいている。 「今、各国の王はいずれもどんぐりの背比べで、傑出けっしゅつした者がいない。 それというのも、自分以下の人間だけを臣下にしたがり、 自分より優れた人物を臣下にしたがらないからだ」 呼びつけにできる臣下にばかり取り囲まれていたのでは、 大きな仕事などできないばかりか、人間的な堕落だらくまで招きかねない。 *参考資料:「中国古典一日一言」守屋洋(著)をもとに、 自分なりに追記や解釈して掲載しています。 私たちは、日々、何をするにしても 大なり小なり、決断(選択)をしている その折々に思い出し、 より善い選択(決断)ができるように 貴方も私も 在りたいですね。

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