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人は流水の鑑みるなくして、止水に鑑みる|中国古典 名言に学ぶ

第六章 人は流水りゅうすいの鑑かえりみるなくして、止水しすいに鑑かえりみる ー人莫鑑於流水、而鑑於止水ー    荘子 内篇 徳充符 (荘子:三十三篇。戦国中期の道家荘周とその一門の思想を記したもの。荘周の撰。外・内・雑編から成り、内編七編以外の大部分は、後人の仮託になるものといわれている。「南華新経」ともいう。) {原文} 人莫鑑於流水、 而鑑於止水。 唯止能止衆止。 {書き下し文} 人は流水りゅうすいの鑑かえりみるなくして、 止水しすいに鑑かえりみる。 唯ただ止しのみ能よく衆止しゅうしを止やむ。 {意解}  よく知られている「荘子」の「明鏡止水」である。 流れる水は人の姿を映すことが出来ない。が静止した水(止水)は、在あるがままに人の姿を映し出してくれる。人も静止した水のように静かな澄み切った心境でいれば、どんな事態に直面しても動揺どうようすることなく、冷静な判断を下すことが出来ると云いっている。 「無心の境地」といえるだろう。何事も、欲望や疑念に心が惑わされていては、善い判断(選択)はくだし難がたい。勝負事でも、勝とうと気負えば冷静な判断を欠き、実力を発揮できないで終わってしまう。 移り行く「時代の様相ようそう」や変化する「世間の常識」にただ流されたままでは自分の心を安らかに落ち着かせることはできない。「自分の心の静かさ」の中でこそ、その「真の姿」を能よく止とどめる(知る)ことができる。  「つねに止水のような静かな心境を持てば世間一般の真の姿をとらえることができる」と云う。 菜根譚 前集 87項に「心を観じ道を証するは、此の三者に如くは無し」とある。 1,静かな環境で思考が透徹しているときには、心の本来の姿が見えてくる。 1,のんびりした環境で気持ちが落ち着いているときには、心の働きが見えてくる。 1,淡々たる心境で感情が平静なときには、心の働く方向が見えてくる。 バタバタ動き回ってばかりいると、自分を見失いがちである。時には静かな環境に身を置いてみるべきであろう。 *参考資料:「中国古典一日一言」守屋洋(著)をもとに、 自分なりに追記や解釈して掲載しています。 私たちは、日々、何をするにしても 大なり小なり、決断(選択)をしている その折々に思い出し、 より善い選択(決断)ができるように 貴方も私も 在りたいですね。

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