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世を処するに一歩を譲るを高しとなす|中国古典 名言に学ぶ

第七章 世を処しょするに一歩を譲ゆずるを高たかしとなす ー処世譲一歩為高ー  菜根譚 前集 17項 【菜根譚:明の洪自誠編。前集222条では人との交わり、事治、対応の道を説き、 後集135条では退静閑居の楽しみを論じている】 原文: 処世譲一歩為高。 退歩即進歩的張本。 待人寛一分是福。 利人実利己的根基。 書き下し文: 世を処しょするに一歩を譲ゆずるを高たかしとなす。 歩ほを退しりぞくるは即すなわち歩ほを進むるの張本ちょうほんなり。 人を待つに一分を寛ひろくにするはこれ福さいわいなり。 人を利りするは実げに己おのれを利するの根基こんきなり。 意解: 人生は一歩譲って生きること(自説を一部分引っ込めて、相手の主張を少し認めること)が、自分が進歩成長する伏線となる。人には寛大に接することが結局、実益につながる。 人のためを忖度そんたく(他人の気持ちや考えを推しはかる)することが、結局は自己の利益を守ることになると言っている。 人はそれぞれ自分が得てきた経験、知識は違うもの、それらを考慮し、一歩譲って相手の主張を理解し認めることも必要だろう。 伝習録 修養に「朋友に処するに、務めて相下れば則ち益を得、相上げば則ち損ず」とあり、ゆうまでもなく、完璧な人間はいない。誰しも欠点の一つや二つはあるのが人間である。それなのに、へんに偉えらぶって相手を見下していたのでは、いたずらに相手の反発を買うことになる。そうなると、相手はなにもいってくれなくなるし、結果として自分の進歩も向上も望めなくなる。故ゆえに、謙虚けんきょであれ、寛容かんようであれ、と語っている。 *参考資料:菜根譚 前集 17条をもとに、 自分なりに追記や解釈して掲載しています。   私たちは、日々、何をするにしても 大なり小なり、決断(選択)をしている その折々に思い出し、 より善い選択(決断)ができるように 貴方も私も 在りたいですね。

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