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人生百年、昼夜おのおの分ばなり|中国古典 名言に学ぶ

第一章 人生百年、昼夜おのおの分なかばなり ー人生百年、昼夜各分ー   列子 (列子:八巻。戦国初期の鄭のひと列御冠の撰とされているが、 偽作説もあり。別名「沖虚真経」) {原文} 役夫曰、 「人生百年、昼夜各分。 吾昼為僕虜、苦則苦矣。 夜為人君、其楽無比。 何所怨哉」 {書き下し文} 役夫曰く、 「人生百年、昼夜おのおの分なかばなり。 吾、昼は僕虜ぼくりょとなり、苦はすなわち苦なり。 夜は人君じんくんとなり、その楽しみ比ならびなし。 何の怨うらむところあらんや」 *僕虜ぼくりょ:下僕 *人君じんくん:君主 {意解} 老人は言った、 「人の一生は百年。昼と夜が半分ずつで、 昼間は下僕と為り、苦しいことは苦しいが、 夜中は王侯になって楽しいことこの上ない。 何を恨むことがあろうか」  夜になったら、夢で王侯となって栄華を極めているから、なんの不満もないというのである。むかし、周国の守銭奴の尹いん家で休む間もなく働かされている老僕ろうぼくに同情した者に答えたものである。 たしかに昼と夜あわせて百年であるが、昼のストレスを夜の夢で解消する! というのもうら悲しいものを感じる。 荘子 知北遊篇に「人生は白駒の隙を過ぐるが如し」とある。人生の短いことを語った言葉で、人が天地の間に生きているのは、ちようど白馬が走り去るのを戸の隙間からのぞき見るようなもので、ほんの一瞬のことに過ぎない、という意味である。 また、「天地は永遠であるが、人生は二度と戻らない。人の人生はせいぜい百年、あっという間に過ぎ去ってしまう。幸いこの世に生まれたからには、楽しく生きたいと願うばかりでなく、無駄に過ごすことへの恐れをもたなければならない」と(菜根譚)語る。 自分の一度きりの短い人生は、昼も夜も大切に送りたいものである。 楽しみのない、振り返って何もない人生では、生まれてきた意義がないのでは! *参考資料:「中国古典一日一言」守屋洋(著)をもとに、 自分なりに追記や解釈して掲載しています。 私たちは、日々、何をするにしても 大なり小なり、決断(選択)をしている その折々に思い出し、 より善い選択(決断)ができるように 貴方も私も 在りたいですね。

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