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小人の過つや必ず文る|中国古典 名言に学ぶ

第二章 小人しょうじんの過あやまつや必かならず文かざる ー小人之過也必文ー   論語 子張 第十九 (論語:十巻二十編。孔子や孔子の門弟の言行を記したもの。 儒家の聖典とされている。四書の一つ。) {原文} 子夏曰、 小人之過也必文。 {書き下し文} 子夏しか曰いわく、 小人の過あやまつや必ず文かざる。 {意解} 「小人は、失敗をやらかすと、取り繕つくろうことばかり考える」 孔子の弟子十哲のひとり、子夏しかの語った言葉である。 「文かざる」ことがなぜまずいのか。     第一に、どうしてこんな失敗をやらかしたのか、 その原因を究明しようとする姿勢にかけるので、 二回、三回と同じ失敗を繰り返す恐れがあること。   第二に、失敗したことに対する反省がないので、 人間としての進歩も向上も期待できないことだ。   君子にも失敗はあるが、 かりに失敗をおかしても、 気づいたら即座に改め、常に反省を怠らない。 だから、同じ失敗を繰り返さないのだという。 孔子の弟子の曾子そうしは 「吾われ、日に三度吾が身を省かえりみる」と語っている。 春秋左氏伝 僖公二十三年に「懐と安は実に名を敗る」とある。晋の文光が長い亡命生活に疲れ、やる気をなくし 安楽な生活に溺れていた時、見かねた夫人が、夫の公文を諌いさめた言葉の中に出てくる。   この言葉を聞き、 自戒じかいし、悔くい改あらためる度量どりょうを 持ち合わせていたということである。「苦中くちゅうの苦を受けざれば、人の上の人たること難し」文光が君子たる一つの条件を培つちかった時期なのだろう。 参考資料: 孔門十哲 *徳行  顔淵 | 閔子騫 | 冉伯牛 | 仲弓 *言語  宰我 | 子貢 *政事  冉有 | 季路 *文学  子游 | 子夏 四配 孟子、顔淵、曾参(曾子)、子思 子夏は 文学(学問のこと)に優れていて、 後、魏文公の儒となり、 孔子以降の経書の多くについて 子夏の貢献度は大、とされる。 単なる儒家というより、 中国古代哲学の多くの側面に足跡を残したのが子夏である。 {原文} 子夏曰、 賢賢易色、 事父母能竭其力、 事君能致其身、 与朋友交、 言而有信、 雖曰未学、 吾必謂之学矣。 {書き下し文} 子夏曰く、 賢を賢として色に易かえ、 父母に事つかえては能く其の力を竭つくし、 君に事えて能よくその身を致いたし、 朋友ほうゆうと交わるに言いて信あらば、 未だ学ばずと曰いうと雖いえども、 吾われは必ずこれを学びたりと謂いわん。 {意解} 子夏は語る。 「本能的に異性に惹ひかれるように、賢人は賢人として敬うやまい、  親孝行をするときは全力で行い(考)、 君子に仕えるときはその身をもって尽くし(忠)、 友人と会うときは、口にしたことを裏切らないようにする(信)。 このような事ができる人が 『まだ学問を修おさめていないので自分は賢人ではない』と 言うかもしれないが 私はこの人を立派な賢人として接するでしょう。」 *参考資料:「中国古典一日一言」守屋洋(著)をもとに、 自分なりに追記や解釈して掲載しています。 私たちは、日々、何をするにしても 大なり小なり、決断(選択)をしている その折々に思い出し、 より善い選択(決断)ができるように 貴方も私も 在りたいですね。

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