Tag Archives: 善く人を用うる者はこれが下となる

善く人を用うる者はこれが下となる|中国古典 名言に学ぶ

第八章 善よく人ひとを用もちうる者ものはこれが下しもとなる ー善用人者為之下ー  老子 第六十八章 【老子:二巻八十一章。道家の祖。老耽の撰と伝えられるが、老耽が実在したか否かは明らかではない。人為、虚飾を去って、無為自然であるべきことを説いている。別名「道徳経」】 原文: 善爲士者不武。善戰者不怒。 善勝敵者不與。善用人者爲之下。 是謂不爭之徳、是謂用人之力、 是謂配天。古之極。 書き下し文: 善よく士したる者ものは武ぶならず。善よく戦たたかう者ものは怒いからず。 善よく敵てきに勝かつ者ものは與くみせず。善よく人ひとを用もちうる者ものはこれが下しもと為なる。 これを不争ふそうの徳とくと謂いい、これを人ひとの力ちからを用もちうと謂いい、 これを天てんに配はいすと謂いう。古いにしえの極きょくなり。 意解: 「老子」は語っている。 「優れた指揮官は武力を乱用しない。 戦功者は感情にかられて行動しない。 勝つことの名人は力ずくの対決に走らない。 人使いの名人は相手の下手に出るのだという。」 これを「老子」は「不争ふそうの徳とく」と呼ぶ。力を誇示したり乱用したりしない。どんな相手にも謙虚な態度でへりくだる。故に、逆にリーダーとして人に立てられるのだという。 おれが、おれがと大きな顔をすれば、必ず人から排斥はいせきされる。かりに力で屈服させたり、地位で服従させることができたとしても、それは表面だけのことで、けっして心服はされない。力や地位の呪縛じゅばくが解ければ、たちまち離反りはんの憂うき目に合うだろう。そんな機微きびを理解しているリーダーは少なくない。 「老子」はただたんに謙虚であれというのではない。 その効果をちゃんと計算しているところに「老子」のしたたかさがうかがえる。 三国志 先主伝注 諸葛亮集に「これ賢これ徳、よく人を服す」と劉備が我が子劉禅りゅうぜんにあてた遺書いしょに「小さな悪だからといって、けっして行おこなってはならぬ、 小さな善だからといって、けっして怠おこたってはならぬ。 賢けんと徳とく、この二字が人を動かすのである」と書き残している。 *参考資料:「中国古典一日一言」守屋洋(著)をもとに、 自分なりに追記や解釈して掲載しています。 私たちは、日々、何をするにしても 大なり小なり、決断(選択)をしている その折々に思い出し、 より善い選択(決断)ができるように 貴方も私も 在りたいですね。

Posted in リーダーの心得 | Tagged , , , , | Leave a comment