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善を見れば則ち遷り、過ちあれば則ち改む|中国古典 名言に学ぶ

第二章 善ぜんを見れば則すなわち遷うつり、過あやまちあれば則すなわち改あらたむ ー見善則遷、有過則改ー   易経 (易経:「易」または「周易」ともいう。五経の一つ。卜筮(ぼくぜい)の法によって、倫理道徳を説いたもの。上下の「経」と、その注釈篇である。「十翼」からなり、十翼は孔子の編と伝えられている。) {原文} 見善則遷、 有過則改。 {書き下し文} 善ぜんを見れば則すなわち遷うつり、 過あやまちあれば則すなわち改あらたむ。         {意解}   善を見たらすぐに学び取り、 過ちがあればすぐに改める。 「則すなわち」→すぐに、ただちに 「遷うつる」→移行する  すぐに実行する行動力も、君子の条件だと言っている。日々の生活の上でも周囲の人々の善行に心が喜ぶ機会は、結構多い。だが、そう感じただけでは、なんにもならない。 自分もそのレベルに近づく努力をする事が重要だ、と云っている。   また、失敗や、過あやまちは誰にでもある。肝心なのは、 早くそれに気づいて改あらためること、 同じ過ちを繰り返さないことだ、と。    孔子ほどの人物でも、 {原文} 「子曰、徳之不修、學之不講、聞義不能徒、不善不能改、是吾憂也」 {書き下し文} 「子曰はく、 徳とくの修おさまらざる、 學の講こうぜざる、 義を聞いて移る能あたはざる、 不善改ふぜんあらたむる能あたはざる、 是これ吾わが憂うれひなり。」 {意解} 徳が身に付いていないのではないか、 学問を怠おこたりはしなかったか。 正しいことと知りながら実行しなかったのではないか。 悪いことと知りながら改あらためなかったのではないか。 これが私の恐れていることだ、という。 「過ちて改めざる、これを過ちと謂う」 「過ちては改むるに憚はばかること勿なかれ」 これも孔子の言葉であるが、 ここで「易経」の言っていることも同じである。同じ過ちを繰り返していたのでは、 進歩も向上も期待できないということである。   過あやまちては改あらたむるに憚はばかること勿なかれ! *「中国古典一日一言」守屋洋(著)をもとに、 自分なりに追記や解釈して掲載しています。 私たちは、日々、何をするにしても 大なり小なり、決断(選択)をしている その折々に思い出し、 より善い選択(決断)ができるように 貴方も私も 在りたいですね。

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