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寡きを患えずして均からざるを患う|中国古典 名言に学ぶ

第三章 寡すくなきを患うれえずして均ひとしからざるを患うれう ー不患寡而患不均ー    論語 季氏第十六 (論語:十巻二十編。孔子や孔子の門弟の言行を記したもの。 儒家の聖典とされている。四書の一つ。)  {原文} 孔子曰。求。君子疾夫舎曰欲之、 而必爲之辭。丘也聞有國有家者、 不患寡而患不均。不患貧而患不安。 蓋均無貧。和無寡。安無傾。 夫如是。 故遠人不服。則脩文徳以來之。 既來之。則安之。今由與求也相夫子。 遠人不服、而不能來也。邦文崩離析、  而不能守也。而謀動干戈於邦内。 吾恐季孫之憂。不在顓臾。 而在蕭牆之内也。 {書き下し文} 孔子曰いわく、求きゅう、 君子は夫かの之これを欲ほっすと曰いうを舎おきて、 必かならず之が辞じを為なすを疾にくむ。丘や聞く、国を有たもち家を有たもつ者は、 寡すくなきを患うれえずして均ひとしからざるを患う。貧まずしきを患えずして安やすからざるを患うと。 蓋けだし均ひとしければ貧しきこと無く、和わすれば寡きこと無く、安ければ傾かたむくこと無し。 夫それ是かくの如ごとし。 故ゆえに遠人えんじん服ふくせざれば、 則すなわち文徳を修おさめて以もって之これを来きたす。 既すでに之を来せば、則ち之を安んず。 今いま由ゆうと求きゅうや、夫子ふうしを相たすけ、 遠人服せずして、而しかも来きたすこと能あたわず。 邦くに文崩ぶんほう離析りせきして、 而しかも守まもること能ざるなり。而しこうして干戈かんかを邦内ほうないに動うごかさんと謀はかる。 吾恐る、季孫きそんの憂うれいは、顓臾せんゆに在あらずして、 蕭牆しょうしょうの内うちに在あらんことを。 *分崩離析ぶんほうりせき:人心が君主から離れ、ばらばらになること。 *干戈かんか:武力 *邦内ほうない:国内 *季孫きそん:桓公の血すじをうけた魯の御三家の一つ。 *蕭牆しょうしょう:内輪うちわ {意解} 孔子曰いわく、 「求(冉有ぜんゆう)、君子というものは、自分の本心を率直にいわないで、 あれこれと言葉をかざるのをにくむものだ。 私はこういうことを聞いたことがある。 諸侯や大夫たる者はその領内の人民の貧しいのを憂うれえず、 富の不平等になるのを憂え、 人民の少ないのを憂えず、 人心の安定しないのを憂えるというのだ。  富が平均すれば貧しいこともなく、 人心がやわらげば人民がへることもない。 そして人心が安定すれば国が傾くこともないだろう。  ゆえに、もし遠い土地の人民が帰服しなければ、 文教徳化(学問や教育によって人心を導き徳によって感化する)を さかんにして自然に慕ってくるようにするがいいし、 すでに帰服して来たものは安んじて生を楽しむようにしてやるがいい。  今、由(子路しろ)も求(冉有ぜんゆう)も、季氏を輔佐ふさ( 補佐)していながら、 遠い土地の人民を帰服させることができず、 国内を四分五裂させて、その収拾がつかず、 しかも領内に兵を動かして動乱をひきおこそうと策謀さくぼうしている。 もってのほかだ。私は、季孫の憂いの種は、 実は顓臾(せんゆ)にはなくて垣根のうちにあると思うがどうだ」 と訳している(現代訳論語)。   為政者という立場にある者が心がけなければならないことは、国を富ますより、まず富の不平等をなくすこと、 人口を増やすより、まず人民ひとりひとりの生活を安定させることにあるのだという。「不平等をなくせば、国は自然に豊かになる。人民が安心して暮らせるならば、人口が減ることはない」さらに孔子は 「民生の安定こそが、国を安泰にする基礎なのだ」と断言している。これは当まさに現代にも当てはまることに思える。 管子 牧民に「衣食足りて礼節を知る」とある。国を治める者は、いつも務めて食料に気を配らなくてはいけない。国に財が多ければ遠くから人が集まり、土地が開墾されれば定住してくれる。食事の心配が無くなれば礼節を知り、衣食が足りると栄辱を知る。つまりは、生活にゆとりができさえすれば、道徳意識は自ずから高まると云う。 *参考資料:「中国古典一日一言」守屋洋(著)をもとに、 自分なりに追記や解釈して掲載しています。 私たちは、日々、何をするにしても 大なり小なり、決断(選択)をしている その折々に思い出し、 より善い選択(決断)ができるように 貴方も私も 在りたいですね。

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