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時務を識るは俊傑に在り|中国古典 名言に学ぶ

第六章 時務じむを識しる者は俊傑しゅんけつに在あり ー識時務者在為俊傑ー    十八史略 巻三 東漢 (十八史略:七巻。元の曾先之の撰。十八史略とは、十八史の要略の意で、 太古から南宋までの四千年間の史実を簡略に記し、初学者の課本に供したもの。) {原文} 琅邪諸葛亮、寓居襄陽隆中。 毎自比管仲・楽毅。 備、訪士於司馬徽。 徽曰、識時務者在俊傑。 此間自有伏龍・鳳雛。 諸葛孔明・龐士元也。 徐庶亦謂備曰、諸葛孔明臥龍也。 備三往乃得見亮、問策。 亮曰、操擁百萬之衆、挟天子令諸侯。 此誠不可興争鉾。 孫権據有江東、國険而民附。 可興為援、而不可圖。 荊州用武之國、益州険塞、沃野千里、天府之土。 若誇有荊・益、保其巌阻、 荊州之軍向苑・洛、 益州之衆出秦川、誰不箪食壺漿、 以迎将軍呼。 備曰、善。 興亮情好日密。曰、 孤之有孔明、猶魚之水也。 {書き下し文} 琅邪ろうやの諸葛亮しょかつりょう、襄陽じょうようの隆中りゅうちゅうに寓居ぐうきょす。 毎つねに自みずから管仲かんちゅう・楽毅がくきに比ひす。 備、士を司馬徽しばきに訪とふ。 徽き曰く、時務じむを識しる者は俊傑しゅんけつに在あり。 此の間自ら伏龍ふくりゅう・鳳雛ほうすう有り。 諸葛孔明しょかつこうめい・龐士元ほうしげんなり、と。 徐庶じょしょも亦また備びに謂いひて曰く、諸葛孔明は臥龍がりゅうなり、と。 備び三たび往ゆいて乃すなわち亮りょうを見まみえるを得え、策さくを問とふ。 亮りょう曰く、操そう、百萬の衆を擁ようし、天子を挟はさみて諸侯に令れいす。 此これ誠まことに興きょうに鉾ほこを争あらそう可べからず。 孫権そんけん、江東に據有きょゆうし、國険けんにして民附つく。 興きょうに援えんと為なす可べくして、圖はかる可べからず。 荊州は武を用もちふるの國、益州は険塞けんさい、沃野ようや(肥えた土地)千里、天府てんぷの土となり。 若もし荊けい・益えきを跨有こゆう(合わせ領有する)し、 其その巌阻がんそ(けわしい要害の地)を保ち、 天下変有へんあらば、荊州の軍は苑えん・洛らくに向むかひ、 益州の衆は秦川しんせんに出いでば、誰か箪食壺漿たんしこしょう(軍隊を歓迎)して、 以もって将軍を迎へざらんや、と。 備曰く、善し、と。 亮と情好じょうこう日に密みつなり。 曰く、 孤この孔明有るは、猶なお魚の水有るがごとし、と。 {意解} 諸葛亮は琅邪陽都ろうやようとで生まれ、襄陽じょうようの隆中りゅうちゅうで仮住まいの生活を送っていたが、常に自らを管仲かんちゅう・楽毅がくきに比して、管仲の如ごとき大経綸だいけいりんと楽毅の如き武略を得んと大志を抱く。  ある時、劉備は司馬徽しばきを訪ねてこの地方に人物はいないかを問うた。 司馬徽曰く、 この時代の流れを把握し、為なすべき事を知っているのは俊傑しゅんけつしかいない。 この地方において俊傑と呼べるのは伏龍ふくりゅう・諸葛孔明しょかつこうめいと 鳳雛ほうすう・龐士元ほうしげんが第一であろう、と。 諸葛亮の親友であった徐庶じょしょもまた劉備に教えて云った。 諸葛亮は臥龍がりゅう、即すなわちまだ飛び上がっておらぬ龍の如き人物である、と。 そこで三顧の礼さんこのれいを尽つくして諸葛亮と会見し、その策を問うた。 諸葛亮曰く、 曹操は軍卒百万、天子を擁ようして諸侯に号令している。 これとまともに戦ってはいけない。 孫権は江東を領有し、国は険けんにして民はよく心服している。 これとは手を取り合うべきで、征服することは不可である。 今、将軍が目を向けるべきは この荊州と険阻けんそ(険しい地形)にして豊かで広大な地、益州である。 この二州を領有して時宜じぎを伺うかがい、時を得れば荊州からは宛えん・洛陽らくように、 益州からは秦川しんせんに出いで、天下に覇はを唱となえることも可能となる。 その時は、箪食壺漿たんしこしょう(歓迎 )して 将軍を迎えぬ人民はおらぬことでありましょう、と。 劉備曰く、 善し、と。 これより諸葛亮は出廬しゅつろ(表舞台に出る)し、 劉備はこれを重宝して日に日に親密になっていった。 ある時、劉備は云いった。 吾われに孔明有るは、魚に水有るが如ごとき(水魚之交すいぎょのまじわり)ものである、と。 「時務じむを識しる」とは、現代とはどういう時代なのか、時代の流れをしっかりとつかみ、 そのなかで何をなすべきかを知っていること。それができるのが、すなわち「俊傑しゅんけつ」なのだという。「三国志」の劉備が荊州に身を寄せて不遇ふぐうをかこっていたとき、司馬徽しばきという人物を訪ねて意見を求めた。司馬徽しばきが語るには、「儒生俗士じゅせいぞくし、あに時務じむを識しらんや。時務じむを識しるは俊傑しゅんけつに在あり」と言って、伏竜ふくりゅうの諸葛亮、鳳雛ほうすうの龐統ほうとう、二人の人物を紹介した。 やがて劉備はこの二人を軍師に迎え、それがキッカケとなって大きく羽ばたいていくのである。これでみると「俊傑しゅんけつ」とは、 ①時代に対する深い洞察力、 ②適切な企画力、 この二つを兼ね備えた人物を指すらしい。これはまた時代を生きるための条件でもあろう。 三国志 諸葛孔明 後出師表に「鞠躬尽力、死して後已まん」とある。これは、孔明が二代目劉禅りゅうぜんに奉たてまつった出陣の挨拶状あいさつじょうとでも言うべき「後出師ごすいしの表ひょう」の結びのところに出てくる。「鞠躬きっきゅう」とは、上の者の命令をかしこんで承うけたまわるといった意味で、この場合、命令とは劉備の遺言ということになろう。孔明の後半生はまさに「鞠躬尽力」そのものであり、それが長く人々の感動を誘う理由となっている。 *参考資料:「中国古典一日一言」守屋洋(著)をもとに、 自分なりに追記や解釈して掲載しています。 私たちは、日々、何をするにしても 大なり小なり、決断(選択)をしている その折々に思い出し、 より善い選択(決断)ができるように 貴方も私も 在りたいですね。

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