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桃李言わざれども下自ら蹊を成す|中国古典 名言に学ぶ

第八章 桃李とうり言ものいわざれども下した自おのずから蹊みちを成なす ー桃李不言下自成蹊ー  史記 李将軍列伝第四十九 【史記:百三十巻。前漢の司馬遷が撰した、中国最初の通史。 上古の黄帝から、漢の武帝までの歴史を紀伝体で記されている】 原文: 太史公曰。伝曰、 「其身正不令而行、其身不正雖令不従。」 其李将軍之謂也。 余睹李将軍、悛悛如鄙人、口不能道辞。 及死之日、天下知与不知皆為尽哀。 彼其忠実心、誠信於士大夫也。 諺曰、 「桃李不言、下自成蹊。」 此言雖小、可以喩大也。 書き下し文: 太史公曰く。伝に曰く、 「其その身正しかれば令れいせずして行おこなはれ、 其その身正しからざれば令れいすと雖いえども従したがはれず。」と。 其それ李将軍の謂いひなり。 余われ李将軍を睹みるに、悛悛しゅんしゅんとして鄙人ひじんのごとく、口道辞どうじする能あたはず。 死の日に及およびて、天下知ると知らざると皆為ために哀かなしみを尽つくせり。 彼かれの其の忠実心、誠まことに士大夫したいふに信ぜられたるなり。 諺ことわざに曰はく、 「桃李とうり言ものいわざれども下した自おのずから蹊みちを成なす」 此の言げん小なりと雖いえども、以もって大を喩たとふべきなり。 参考資料:李将軍列伝第四十九 意解: 桃や李すももの樹は美しい花を咲かせ、美味しい実をつける。だから何も言わなくても人が自然に集まってきて、その下には自然に道ができる。それと同じように、徳のある人物のもとには、黙っていても人々が慕したい寄ってくるのだという。 漢の時代に李広りこうという将軍がいた。 弓の名手で、豪胆ごうたんな戦い方を得意とし、「漢の飛将軍」と恐れられたが、普段は無口で、朴訥ぼくとつな人柄だった。部下もよく可愛がったらしい。下賜かしされた恩賞のたぐいはみな部下に分け与え、飲食も常に部下と同じものをとった。 行軍中、たまたま泉を発見しても、部下が飲み終わるまではけっして飲もうとしなかったし、食料も、部下に行き渡らないうちは、ついぞ手を付けなかった。そのため部下はみな「李広殿のためならば」と、喜んで戦いにおもむいたと言われる。 表題の言葉は、この李広将軍に捧げられたものである。これもまた理想の指導者像を語った言葉である。 三国志 先主伝注 諸葛亮集にも「これ賢これ徳、よく人を服す」とある。劉備りゅうびのことばに 「小さな悪だからといって、けっして行おこなってはならぬ、小さな善だからといって、けっして怠おこたってはならぬ。賢けんと徳とく、この二字が人を動かすのである。(これ賢これ徳、よく人を服す)汝なんじの父は徳に欠けていた。この父にならってはならぬ」劉備の謙虚さと優れた人格を感じとれる言葉である。 *参考資料:「中国古典一日一言」守屋洋(著)をもとに、 自分なりに追記や解釈して掲載しています。 私たちは、日々、何をするにしても 大なり小なり、決断(選択)をしている その折々に思い出し、 より善い選択(決断)ができるように 貴方も私も 在りたいですね。

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