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太上は下これあるを知る|中国古典 名言に学ぶ

第八章 太上たいじょうは下しもこれあるを知しる ー太上下知有之ー  老子 第十七章 【老子:二巻八十一章。道家の祖。老耽の撰と伝えられるが、 老耽が実在したか否かは明らかではない。人為、虚飾を去って、 無為自然であるべきことを説いている。別名「道徳経」】 原文: 太上下知有之。 其次親而誉之。 其次畏之。 其次侮之。 信不足、焉有不信。 悠兮其貴言、功成事遂、 百姓皆謂我自然。 書き下し文: 太上たいじょうは下しもこれあるを知しる。 その次は親しみてこれを誉ほむ。 その次はこれを畏おそる。 その次はこれを侮あなどる。 信足らざれば、焉すなわち信ざられざること有り。 悠ゆうとしてそれ言を貴おもくすれば、功は成り事は遂とげられて、 百姓ひゃくせいは皆「我自われみずから然さり」と謂いう。 意解: 「老子」は指導者のランクを四等級に分類している。 最も理想的な君主と言うのは、 民衆はただその存在を知るだけでそれ以上でもそれ以下でもない、くらいで良い。 次に良い君主は民衆がその功績を讃える様な敬愛される君主、 その次は法と罰を厳しくして民衆が恐れる様な君主、 その次は民衆から愚かだと侮あなどられる様な君主である。 君主が誠実さを欠いて余計な事をすると民衆からの信頼を失うものだ。 だから理想的な君主は悠然ゆうぜんとしてめったに口を挟まず、 人々が力を併せて事業を為す様にさせて、 民衆が「我々の力で国が良くなった」と自らを誇れる様にするのだ。 してみると、あれはかれの功績だなどと吹聴されるようでは、 まだ理想のあり方から遠いのかもしれない。 論語 子路第十三の六に「その身正しければ令せずして行わる」とある。「徳治主義とくちしゅぎ」と呼ばれる統治理論の原点の記述がある。上に立つ者が率先して姿勢を正す。そうすることによって、おのずから下の者を感化していくという考え方だ。これが難しいことは、今の政界の現状を引くまでもなく明らかであろう。だが、やはり各界のリーダーは、このレベルを目指してほしいと思う。 *参考資料:「中国古典一日一言」守屋洋(著)をもとに、 自分なりに追記や解釈して掲載しています。 私たちは、日々、何をするにしても 大なり小なり、決断(選択)をしている その折々に思い出し、 より善い選択(決断)ができるように 貴方も私も 在りたいですね。

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