Tag Archives: 礼記 曲礼・上

難に臨んでは苟も免れんとするなかれ|中国古典 名言に学ぶ

第一章 難なんに臨のぞんでは苟いやしくも免のがれんとするなかれ ー臨難母苟免ー   礼記  曲礼・上 (礼記:四十四篇。周末秦漢時代の礼に関する理論及び実際を記録編集したもの。 前漢の戴聖によって伝えられた。「小戴礼」又は「戴記」といわれる。五経の一つ) {原文} 賢者狎而敬之、畏而愛之。 愛而知其惡、憎而知其善。 積而能散、安安而能遷。 臨財毋苟得、臨難毋苟免。 很毋求勝、分毋求多。 疑事毋質、直而勿有。 {書き下し文} 賢者は狎なれてしかもこれに敬し、 畏おそれて而しかも之これを愛し。 愛して而もその悪を知り、憎みて而もその善を知り。 積みて而も能よく散じ、安きに安じて而も能く遷うつる。 財に臨みてはいやしくも得んとすること毋かれ、 難に臨みてはいやしくも免れんとすること毋かれ。 很あらそいには勝たんことを求ること毋かれ、 分わかつには多からんことを求ること毋かれ。 疑事は質ただすこと毋かれ、 直ちょくにして而も有いうすること勿かれ。 {口語訳} 賢者は人に対して、親しくなっても敬を失わず、 尊敬しても愛を失わず、 またその人を愛してもその欠点を見分け、 憎んでも長所を認める。 また賢者は金品を蓄えても、 使うべきときには惜しまず、 気に入った境遇に休むことは好きだが、 それでも動くべき時にはさっと動く。 金品に対しては、軽々しく欲しがってはいけない。 困難に直面したら、手段を選ばずに逃げようとしては行けない。 争いに、勝つことばかり望んではいけない。 疑わしい事について、すぐに詮索し、 真相を知ろうとするのではなく、 しばらくは不問に付しておき、問題に応じて真実を 確かめることにすべきである。 また率直に意見を述べるのは良いが、 あくまでも我を通そうとするのはいけない。 {意解} 困難にぶつかっても、逃げ腰にならないで、まっ正面から立ち向かっていけという意味になる。この場合、「礼記」の注に「義を傷やぶらんが為なり」とあり、どんな困難にさいしても、恐れずに立ち向かえ、猪武者になれと云っているのではない。困難にぶつかった場合は、その時の状況に応じて後退してもよいし、迂回うかいしてもよい、臨機応変に対処せよと言っている。 「礼記」の原典に則すれば 「自分が正しいと信じて進んだ道は、前途多難が待ち構えていても 避けて通ってはならない」である。自分が正しいと信じたことは、最後まで貫く!これは自分の人生の根冠に対する格言に思える。 易経 繋辞下伝 第二章に「窮すれば即ち変ず、変ずれば即ち通ず」とある。「易経」によれば、不変なるものは決して永遠にはなりえず、変化こそが永遠で、変化することで「通じ」、「久し」となる。これが人間世界を貫く不変の法則だという。われわれの処世でもっとも気になるのは、窮した時、どん詰まりの状態に陥った時の生き方である。そうとうな人物でも、ここで取り乱したり、ヤケを起こしたりして進退を誤ることが少なくない。 「易経」のことばを信じるなら、そんなときこそ、あわてないで情勢の変化を待てばよいのだ。ただし、指をくわえてただ待つのではない。「器を身に蔵し、時を待ちて動く」なのである。つまり、能力(器)を磨き、それを身に蓄えながら満を持せと云っている。 *参考資料:「中国古典一日一言」守屋洋(著)をもとに、 自分なりに追記や解釈して掲載しています。 私たちは、日々、何をするにしても 大なり小なり、決断(選択)をしている その折々に思い出し、 より善い選択(決断)ができるように 貴方も私も 在りたいですね。

Posted in 大きく生きる | Tagged , , , , , | Leave a comment