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曲なれば則ち全し|中国古典 名言に学ぶ

第一章 曲きょくなれば則すなわち全まつたし ー曲則全ー  老子 第二十二章 (老子:二巻八十一章。道家の祖、老耽の選と伝えられるが、 老耽が実在したか否かは明らかではない。人為、虚飾を去って、 無為自然でありべきことを説いている。別名「道徳経」。) {原文} 曲則全、枉則直、 窪則盈、敝則新。 少則得、多則惑。 是以聖人抱一、爲天下式。 不自見故明、不自是故彰。 不自伐故有功、不自矜故長。 夫唯不爭、故天下莫能與之爭。 古之所謂曲則全者、豈虚言哉。 誠全而歸之。 {書き下し文} 曲きょくなれば則すなわち全まつたし、枉まがれば即ち直なおし、 窪くぼめば即ち盈みち、敝やぶるれば即ち新あらたなり。 少なければ即ち得られ、多なれば即ち惑う。 ここを以もって聖人は一いつを抱いだきて、天下の式のりと為なる。 自みずから見あらわさず、故ゆえに明あきらか、自ら是よしとせず、故に彰あらわる。 自ら伐ほこらず、故に功こうあり、自ら矜ほこらず、故に長ひさし。 それ唯ただ争あらそわず、故に天下も能よくこれと争う莫なし。 古いにしえの謂いわゆる曲きょくなれば即すなわち全まつたしとは、豈あに虚言きょげんならんや。 誠まことに全まつたくしてこれを帰きす。 {意解} 略して「曲全きょくぜん」。 「老子」の哲学を端的に語る言葉の一つ 。直線的な生き方よりも 曲線的な生き方を良しとし 、先頭よりも 後からついていく生き方好む。そのほうが危険が避けられ より安全に生きることができる、と説く。   けっして「曲全」は逃避主義とうひしゅぎということではなく 、弱者が自らの弱点を理解して、粘り強く 起死回生きしかいせいを図ろうとする方策である。 「屈くつしているから伸のびることができる、 窪くぼんでいるからこそ 水を満みたすことができる」 とも 「老子」は語っている。己の包容力を高める努力が望まれると云うことだろう。 通俗編に「苦中の苦を受けざれば、人の上の人たること難し」とある。「艱難辛苦かんなんしんく汝なんじを玉たまにす」 人は困難や苦労を乗り越えることによって、初めて立派な人間に成長する。「苦中くちゅうの苦く」も 「艱難かんなん汝なんじを玉たまにす」 を心に抱けばいっこうに苦にならないかもしれない。そういう体験をすれば、 その体験から、人の苦悶くもん、苦悩くのう、不遇ふぐうも理解できるし、人を見る目も練ねれてくる、逆境に耐えるたくましさも身についてくる。こういう人物は 上に立つ、云々うんぬん以前の 人としての畏敬いけいに値する。 *参考資料:「中国古典一日一言」守屋洋(著)をもとに、 自分なりに追記や解釈して掲載しています。 私たちは、日々、何をするにしても 大なり小なり、決断(選択)をしている その折々に思い出し、 より善い選択(決断)ができるように 貴方も私も 在りたいですね。

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