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有りて施さざれば、窮して之を救ふもの無きなり|中国古典 名言に学ぶ

   第七章 有ありて施ほどこさざれば、窮きゅうして之これを救すくふもの無なきなり ー有而不施、窮無与救也ー  荀子 法行篇 【荀子:二十巻。戦国時代末期の学者、荀況の書。荀況は孟子に次ぐ大儒。 孟子の性善説に対して、荀況は性悪説を唱えた】 原文: 孔子曰、 君子有三思、不可不察也。 少而不学、長無能也。 老而不教、死莫之思也。 有而不施、窮無之救也。 故君子少思其長則務學、 老思其死則務教、 有思其窮則務施。 書き下し文: 孔子曰こうしいわく、 君子に三思有さんしあり。察さつせざるべからざるなり。 少すくなくして学まなばざれば,長ちょうじて能無のうなきなり。 老おいて教おしへざれば,死ししても之これを思おもふもの無なきなり。 有ゆうして施ほどこさざれば、窮きゅうして之これを救すくふもの無なきなり。 故ゆえに君子くんしは少すくなきときは、其その長ちょうを思おもひて則すなわち学がくを務つとめ、 老おいては其その死しを思おもひて則すなわち教きょうを務つとめ、 有ゆうするときは其その窮きゅうを思おもひて則すなわち施しを務つとむ、と。 意解: 孔子は言っている「君子には三つの思慮しりょがある。考えておかなくてはいけない。 若いときに学ばなかったなら、成長しても能のない人になる。 老いてから教えなくては,死んだ後も、この人を思う者はいない。 物が有って、人に施ほどこさなければ,困窮こんきゅうしても、この人を救う者はいない。 故ゆえに、君子は若いときは、自分が壮年そうねんとなった時を思って学習に努め、 老いては自分の死後を思って教導きょうどうに務つとめ, 物が有れば其の困窮こんきゅうしたときを思って、施ほどこしに務つとめるのである」 我々日本人は、「有ありて施ほどこす」ことが苦手なように思われる。外国の有名な芸能人が養子縁組をしたり、福祉活動に積極的取り組んだりと、其の「仁愛じんあい」の行動に敬意を表したい。わたしたちはもっと「施ほどこす」ことを意識すべきであろう。 *仁愛じんあい:情け深い心で人を思いやること。慈いつくしむこと *参考資料:「中国古典一日一言」守屋洋(著)をもとに、 自分なりに追記や解釈して掲載しています。 私たちは、日々、何をするにしても 大なり小なり、決断(選択)をしている その折々に思い出し、 より善い選択(決断)ができるように 貴方も私も 在りたいですね。

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