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下問を恥ず|中国古典 名言に学ぶ

第二章 下問かもんを恥はじず ー不恥下問ー   論語 公冶長 十四 (論語:十巻二十編。孔子や孔子の門弟の言行を記したもの。 儒家の聖典とされている。四書の一つ。) {原文} 子貢問曰、 孔文子何以謂之文也、 子曰、 敏而好學、不恥下問、 是以謂之文也。 {書き下し文} 子貢問しこうとうて曰わく、 孔文子、何を以もってかこれを文というや。 子曰わく、 敏びんにして学を好み、下問かもんを恥はじず、 ここを以てこれを文というなり。 {意解}   孔子の弟子の子貢しこうが、孔子にこうたずねた。 「衛国の重臣であった孔圉こうぎょ、 孔文子こうぶんしという人物に、 どうして「文」という立派な諡おくりなが与えられたのでしょうか?」  孔子の答えは、 「もともと彼は明敏めいびんで学問を好む人だった。 分からない事があれば、 たとえ目下の相手であっても教えを乞こうて、 それを恥はじなかった。 そういう態度は立派である、 だから「文」という諡おくりなをもらったのだ。」 と。    目下の者に教えを請こうのは、 あまり格好のいいものではないが、 「聞くは一時の恥はじ、聞かざるは一生の恥はじ」 知ったかぶりをすると、相手は教えてくれない。  どんどん話が先に進んでしまう。今さら聞けない、となってしまう。 背伸せのびをして、聞くべきことも聞かないのは、一生の損そんである。 人にものを尋ねるのは恥ずかしい事ではない 。 恥だと思って聞かずにやりすごせば、なを大恥をかくことにもなる。 下問かもんを恥はじず・・・そんなピュアな心でありたい。  弱いところをさらけ出してこそ強くなれるし、協力も得られる。 偉そうにしていては、誰もついて来てはくれない、教えてはくれない。 そこに人間らしさが見えてこそ、心を集められるような気がする。  誰でも知らないことは有る、当たり前のこと。 こだわりは早めに捨て、切り替えることが、 より悔くいの少ない人生に近づけるように思う。 誰にでも聞ける心が、弱みでなく・・・強みになる。 そんなところから、よき友が集まる・・そう思える。 自己を知り、謙虚に教えを請う心が、自己を高める方法であろう。 *明敏めいびん:頭の働きが、鋭く、すばやいこと。 備考: *「文」は諡おくりなの中でも上位 *「諡」は主に帝王・相国などの貴人の死後に奉たてまつる、   生前の事績への評価に基づく名のこと。 諡おくりな (諡字)はおおむね、その意味をもって 上(美諡し)・中(平諡)・下(悪諡)に分けられる。 上(美諡): 「神」「聖」「賢」「文」「武」「成」「康」「献」 「懿」「元」「章」「壮」「景」 「宣」「明」「昭」 「正」「敬」「恭」「荘」「粛」「穆」「烈」「桓」 「威」「貞」 「節」「靖」「真」「順」「顕」「和」 「高」「光」「英」「睿」「憲」「孝」「忠」 「恵」 「徳」「仁」「智」「慎」「礼」「義」「敏」「信」 「清」「良」「謙」「純」「哲」等、 中(平諡): 「懐」「悼」「哀」「愿」「閔」「殤」「霊」 死者への褒揚ほうようが込められた字が名君賢臣に贈られた。 これに対し、「野」「戻」「厲」「昏」「煬」「幽」「夷」等は 悪諡として暴君奸臣に贈られることになっている。 *参考資料:「中国古典一日一言」守屋洋(著)をもとに、 自分なりに追記や解釈して掲載しています。 私たちは、日々、何をするにしても 大なり小なり、決断(選択)をしている その折々に思い出し、 より善い選択(決断)ができるように 貴方も私も 在りたいですね。

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