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賢士の世に処るは譬えば錐の囊中に処るが若し|中国古典 名言に学ぶ

第六章 賢士けんしの世よに処おるは譬たとえば錐きりの囊中のうちゅうに処おるが若ごとし ー賢士之処世也譬若錐之処於囊中ー  史記 平原君列伝 【史記:百三十巻。前漢の司馬遷の撰した中国最初の通史。 上古の黄帝から、漢の武帝に至る歴史を紀伝体によって記している。】 原文: 平原君曰、夫賢士之處世也、 譬若錐之處囊中、其末立見。 今先生處勝之門下、三年於此矣。 左右未有所稱誦、勝未有所聞、 是先生無所有也。先生不能、先生留。 毛遂曰、臣乃今日請處囊中耳。 使遂蚤得處囊中、乃穎脱而出。 非特其末見而已。平原君竟與毛遂偕。 書き下し文: 平原君へいげんくん曰いく、夫それ賢けん士しの世よに処おるや、 譬たとえば錐きりの嚢中のうちゅうに処おるがごとく、其その末すえ立たちどころに見あらわる。 今いま、先生せんせい、勝しょうの門下もんかに処おること、此ここに三年さんねんなり。 左さ右ゆう、未いまだ称誦しょうしょうする所ところ有あらず、勝しょうも未いまだ聞きく所ところ有あらざるは、 是これ先生せんせい、有ゆうする所ところ無なきなり。先生せんせい能あたわず、先生せんせい留とどまれ、と。 毛遂もうすい曰いわく、臣しん、乃すなわち今日こんにち、嚢中のうちゅうに処おらんことを請こうのみ。 遂すいをして蚤はやく嚢中のうちゅうに処おるを得えしめば、乃すなわち穎脱えいだつして出いでん。 特ただに其その末すえの見あらわるるのみに非あらず、と。平原君へいげんくん、竟ついに毛遂もうすいと偕ともにす。 意解: 有能な人物は、袋の中(嚢中のうちゅう)に置かれた錐きりが切っ先を現わすように、 必ず頭角とうかくを現わしてくるという意味。 趙ちょうの国の平原君へいげんくんという宰相さいしょうが重大な使命を帯びて楚その国に使いしたとき、 自分の食客しょくきゃくたちの中からこれぞと思われる人物を二十人選んで使節団を編成しょうとした。すると毛遂もうすいという男がみずから名乗り出た。なにしろ数千も居る食客である。 平原君としては見覚えがない。「貴公きこうはここに来られて何年になる」「三年でございます」「有能な人材は、たとえてみれば袋の中に置かれた錐きりのようなもの。すぐにでも切っ先を現すであろう。貴公の名など一度も耳にしたことがない。とうてい頼りになる者とも思われぬ。留とどまれ、と。」だが毛遂もうすいは引き退しさらず、粘ねばって一行に加えてもらい、 のちに大いに手腕しゅわんを発揮はっきし平原君へいげんくんを感服かんぷくさせたという。 平原君の語ることにも一理はあるが、チャンスを与えてもらえなければ、切っ先(能力)を現あらわしようがないのも一理ある。 後漢書 耿弇伝に「志ある者は事竟に成る」とある。「志こころざしがあれば、必かならず成就じょうじゅする」 解りやすく明快な一文です。では「志こころざし」とは・・・的確に説明するのは、難しいが 1,心のなかに自覚されている鮮明な目的意識 1,それを成し遂げようとする強い意欲 つまり、鮮明な目的意識と強い意欲を合わせたものが「志こころざし」と言えるのかもしれない。 チャンスを引き寄せる(吸引机会)努力も必要だろう。 *机会:機会、チャンス *参考資料:「中国古典一日一言」守屋洋(著)をもとに、 自分なりに追記や解釈して掲載しています。 私たちは、日々、何をするにしても 大なり小なり、決断(選択)をしている その折々に思い出し、 より善い選択(決断)ができるように 貴方も私も 在りたいですね。

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