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好死は悪活に如かず|中国古典 名言に学ぶ

第五章 好死こうしは悪活あくかつに如しかず ー好死不如悪活ー     通俗編 巻三十八 (通俗編:三十八巻。清のテキコウの撰。 日常使っている語を集めて分類、出処を明示したもの。 天文・地理・時序以下三十六類に分けている。) {原文} 好死不如悪活 {書き下し文} 好死こうしは悪活あくかつに如しかず {意解} 「好死こうし」とは、立派な死に方、潔い死に方。 「悪活あくかつ」とは、惨みじめな生き方、見苦しい生き方。 そんな生き方でも、とにかく生き抜くほうが「好死」に優まさっているのだという。 日本で言う「死んで花実が咲くものか」に近いニュアンスをもった言葉である。  少年や働き盛りの青年の自殺、母子心中といった事件が報じられるが、これほどやるせない思いにさせられる報道はない。一般的に言って、私たち日本人は壁にぶつかると、本能的に死を選ぼうとするのかもしれない。その点、中国人の生き方は、はるかに逞たくましい。 どんな苦しみにも耐えて、生きていこうとする。  一度きりの人生である。死に急ぐことはないのではないか。「悪活」でもいい。 とにかく生きてさえいれば、そんな事もあったなと、笑顔で話せる時節が必ず来るものである。希望はあなたを見捨てない!  命こそ宝 荀子 宥坐篇 第二十八に「遇と不遇は時なり」とある。誰の人生にも、遇と不遇がついてまわる。問題は不遇な時の過ごし方だ。そんなとき、へんに卑屈ひくつになったり、ジタバタ悪あがきをしていたのでは、将来の展望がない。さらに孔子はこう付け加えている。 「身を修め行いを端ただしくして、以もってその時を俟まて」そんなときこそ、じっくりと自分を鍛えながら、ツキが回ってくるのを待て、と云っている。 *参考資料:「中国古典一日一言」守屋洋(著)をもとに、 自分なりに追記や解釈して掲載しています。 私たちは、日々、何をするにしても 大なり小なり、決断(選択)をしている その折々に思い出し、 より善い選択(決断)ができるように 貴方も私も 在りたいですね。

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