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兵は凶器なり、争いは逆徳なり|中国古典 名言に学ぶ

第三章 兵は凶器きょうきなり、争いは逆徳ぎゃくとくなり ー兵者凶器也、争者逆徳也ー   尉繚子 兵令上第二十三 (尉繚子うつりょうし:二十四篇五巻。兵法書。戦国時代の兵家、 尉繚の著と伝えられている。) {原文}  兵者凶器也、爭者逆徳也。 事必有本。 故王者伐暴亂本仁義焉。 戰國則以立威抗敵、 相圖而不能廢兵也。 兵者以武爲植、以文爲種。 武爲表、文爲裏。 能審此二者、知勝敗矣。 文所以視利害、辨安危、 武所以犯強敵、力攻守也。  {書き下し文} 兵は凶器なり、争いは逆徳ぎゃくとくなり。 事ことには必ず本もとあり。 ゆえに王者の暴乱ぼうらんを伐うつは仁義に本もとづく。 戦国は則すなわちもって威いを立て敵に抗こうし、 相あい図はかりて兵を廃はいするあたわざるなり。 兵は武をもって植しょくとなし、文をもって種しゅとなす。 武を表おもてとなし、文を裏うらとなす。 よくこの二つを審つまびらかにする者は、勝敗を知る。 文は利害を視み、安危あんきを弁ずるゆえんにして、 武は強敵を犯し、攻守こうしゅを力つとむるゆえんなり。 {意解} 「兵」という漢字には幾つか意味がある。 一、武器 一、兵士 一、戦争 この場合は武器に当たるだろう。 武器は人殺しの道具「凶器」、つまり不吉な道具である。 「争いは逆徳なり」とは、 戦いは徳に反する行為であり、 望ましくないことだというのである。 こういう認識は、「尉繚子うつりょうし」だけでなく、 中国の兵法書に共通しており、 中国人に共通して流れている考え方だと言ってよい。 紛争の解決は政治・外交によって行われるべきで、 武器による解決は最低の策だというのである。 「尉繚子」も「已やむを得ずしてこれを用う」としている。 『尉繚子』には先行する兵法書である 『孫子』・『呉子』の他に 『孟子』・『韓非子』・『商君書』などの 影響を受けた部分が含まれており、 後世偽書説が言われた理由の一つに挙げられたのであるが、 逆に『尉繚子』がこれら先人の学説を「まとめ」て より高度な軍事・政治理論を構築しようとしたのではないか とする 積極的な評価をする見方や、 尉繚の流れを汲んだ後人による 加筆を想定する見方もある。 にしても、 「紛争の解決は政治・外交によって行われるべきで、 武力による解決は最低の策」ということである。 *参考資料:「中国古典一日一言」守屋洋(著)をもとに、 自分なりに追記や解釈して掲載しています。 私たちは、日々、何をするにしても 大なり小なり、決断(選択)をしている その折々に思い出し、 より善い選択(決断)ができるように 貴方も私も 在りたいですね。

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