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寿ければ則ち辱多し|中国古典 名言に学ぶ

第一章 寿いのちながければ則すなわち辱多はじおおし ー寿則多辱ー  莊子 天地 【荘子:三十三篇。戦国中期の道家荘周とその一門の思想を記したもの。 荘周の撰。外・内・雑編から成り、内編七編以外の大部分は、 後人の仮託になるものといわれている。「南華新経」ともいう】 原文: 堯曰、 多男子則多懼、 富則多事、 壽則多辱。 是三者、非所以養德也。 故辭。 書き下し文: 尭ぎょう曰いわく、 男子だんし多おおければ則すなわち懼おそれ多おおく、 富とめば則すなわち事こと多おおく、 寿いのちながければ則すなわち辱はじ多おおし。 是この三者さんしゃは徳とくを養やしなう所以ゆえんに非あらざるなり。 故ゆえに辞じす、と。 *懼おそれ:心配事 意解: 長生きすれば、それだけ恥をかく機会が多くなるというもの。 「莊子」の次の話が出典になっている。 むかし、聖王の堯ぎょうが華かという所に視察に行ったときのことである。土地の役人が堯のために、「たくさんの男の子が授かりますように、富に恵まれますように、長寿に恵まれますように」と祝福を捧げたが、堯はこれを受けようとしない。役人が理由を尋ねたところ堯はこう答えたという。「男の子が多いと心配事が絶えない。金持ちになると煩わずらわしいことばかりだ。長生きすれば、それだけ恥も忍ばねばならない(寿ければ則ち辱多し)。だから、せっかくだがお断りしたのじゃ」 これはこれで立派な見識である。だが、「莊子」に言わせると、そんな事にこだわっているのはまだ低いレベルで、とうてい人生の達人とは言えないのだという。確かに、長生きすれば失敗すること、恥をかくことも多いかもしれない。が失敗した事、恥をかいた事を二度、三度と繰り返さないように改めれば、確実に、人としてのレベルアップをしていると思われる。 淮南⼦ 原道訓にも「年五十にして四十九年の非を知る」とある。何歳になっても自分の過ちを認めて過ちを少なくしようと努めれば、向上していくことができる。と教えてくれている。 参考資料:「中国古典一日一言」守屋洋(著)をもとに、 自分なりに追記や解釈して掲載しています。 私たちは、日々、何をするにしても 大なり小なり、決断(選択)をしている その折々に思い出し、 より善い選択(決断)ができるように 貴方も私も 在りたいですね。

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