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天を楽しみ、命を知る、故に憂えず|中国古典 名言に学ぶ

第五章 天てんを楽しみ、命めいを知る、故ゆえに憂うれえず ー楽天知命、故不憂ー  易経 繋辞上伝 第四章 (「易」「周易」ともいう。五経の一つ。卜筮ぼくぜいの法によって、 倫理道徳を説いたもの。「十翼」からなり、十翼は孔子の編と伝えられる。 繋辞上伝は易経の中核となすもので、易経の概論を哲学として高め、解説したもの。) {原文} 與天地相似。故不違。 知周乎萬物而道濟天下。 故不過。旁行而不流。 樂天知命。故不憂。 安土敦乎仁。故能愛。 {書き下し文} 天地と相似あいにたり、故ゆえに違たがはず。 知ち、萬物ばんぶつに周あまねくして、道、天下を濟すくふ。 故ゆえに過あやまたず。旁行ぼうこうして流れず。 天てんを楽しみ命めいを知る。故に憂うれえず。 土どに安やすんじ仁じんに敦あつし。故ゆえに能よく愛す。 {意解} 易えきは天地宇宙の変化をそのまま映したものである。それゆえ易の法則には過ちがない。 易を含む智慧は天地宇宙を網羅しているから、易の道は天下を救うことができる。 それゆえ易と天地宇宙は一体である。易は真理で広くゆきわたるがさまよわずと云う。 天地宇宙の変化を楽しみ、己の使命(天命)を自覚し受容する、ゆえに目先の現象に一喜一憂しない。 土ど(天に対する地のこと)自分の境遇に安んじて思いやりの心に満ちていれば、広く隣人りんじんを愛することができると説く。  「天てん」と「命めい」を合わせると「天命」である。「辞海じかい」で「命」は「天命なり。按あんずるに古人は毎つねに、人道は天道に基づき、人の禍福かふく、窮通きゅうつう、夭寿ようじゅは皆天の支配する所という」とある。  昔から中国人は、人間社会のもろもろの現象は、天の意思の見えない糸によって支配されていると考えてきた。それが「天命」であり、「命」である。故に「命」を自覚することによって、達観たっかんとか諦念ていねんが生まれ、さらに進めば悟さとりの境地に近づいていく。 「故ゆえに憂うれえず」━━━━!!変にジタバタしないということになる。  逆境ぎゃっきょうに陥おちいったとき、最もまずいのは、ジタバタすることである。いわゆる悪あがきである。単に見苦しい醜態を晒さらすばかりでなく、これで一層事態を悪化させることが多い。 「天を楽しみ、命を知る」者の強みは、こういう時に発揮されるのかもしれない。  この「易経 繋辞上伝 第十二章」の後半に記されている 「是故形而上者。謂之道。形而下者。謂之器。」 (形而上なるもの。これを道といい。形而下なるもの。これを器という) の一文が「形而上学」の語源といわれているようです。 朱子学に「朱子家訓!大義名分論を重視し、上下の秩序を重んじる」がある。自己と社会、自己と宇宙は、“理”という普遍的原理を通して結ばれ、理への回復を通して社会秩序は保たれるとした。なお朱熹の言う“理”とは、「理とは形而上のもの、気は形而下のものであって、まったく別の二物であるが、たがいに単独で存在することができず、両者は“不離不雑”の関係である」とする。 また、「気が運動性をもち、理はその規範・法則であり、気の運動に秩序を与える」とする。この理を究明することを「窮理きゅうり」とよび、朱熹の学風は 「できるだけ多くの知識を仕入れ、取捨選択しゅしゃせんたくして体系化する」というものであり、極めて理論的であったため、後に「非実践的」「非独創的」と批判された。私的に非常に難しい。 *達観:全体の情勢や将来をよく見通すこと。 *諦念:道理をさとる心。 *悟さとり:心の迷いが解けて真理を会得すること。 *形而上:形のないもの、形を超えたもの。 *形而下:形があるもの。 物質的なもの。 *参考資料:「中国古典一日一言」守屋洋(著)をもとに、 自分なりに追記や解釈して掲載しています。 私たちは、日々、何をするにしても 大なり小なり、決断(選択)をしている その折々に思い出し、 より善い選択(決断)ができるように 貴方も私も 在りたいですね。

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