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百年河清を俟つ|中国古典 名言に学ぶ

第五章 百年河清かせいを俟まつ ー百年俟河清ー     左伝 襄公八年 (春秋左氏伝:三十巻。魯の左丘明の撰と伝えられている。 「春秋」の注釈書で「左氏伝」ともいう。十三経の一。) {原文} 子駟曰、 周詩有之、曰、 俟河之清、人壽幾何。 兆云詢多、職競作羅。 {書き下し文} 子駟しし曰いわく、 周詩しゅうしに之これ有あり、曰いわく、 河かの清すむを俟まつも、人寿じんじゅ幾何いくばくぞ。 兆ちょうして云ここに詢はかること多おおければ、 職しょくとして競きそいて羅あみを作なす、と。 {意解}  いくら待っても仕方のないとき、「百年河清ひゃくねんかせいを待つ」ようなものだと言う。 原文では「百年」の言葉は見当たらない。「河清」の「河」は黄河を指す。  黄河は、いつも濁っていて澄む時がない。 そこからこの言葉が生まれたが、元々は「左伝 襄公八年」の話が出典元である。  春秋時代、黄河流域に鄭ていという小さな国があった。 当時、北には晋、南には楚という二大強国があって、 他の諸国はいずれもこの両大国の圧力を受けて存続を脅かされていた。  鄭が楚の侵攻を受けたときのこと、 重臣たちは降伏派と、晋の来援に期待してあくまで戦うべしとする抵抗派と、 二派に分かれた。 そのとき、降伏派の一人(子駟)が、 「河かの清すむを俟まつも、人寿じんじゅ幾何いくばくぞ」 という古詩を引いて、強硬に降伏論を主張した時のことばだという。  晋の援軍を待つのは、「河清かせいを俟まつ」ようなもので、  人間の寿命はどのくらい必要か!(いくらあっても足りないであろう)  占いでも伺うかがうことが多すぎると、 網にかかったように身動きが取れなくなってしまうではないか、というのである。 他の助けを当てにするのは 「河清を俟つ」になる事(報われないこと)の方が多いようである。 易経も、窮すれば即ち変ず、変ずれば即ち通ずと言い、 必ず情勢の変化がおこり、そこからまた新しい展開が始まる。 能力(器)を磨き、それを身に蓄えながら満を持せよ、と言っている。 *参考資料:「中国古典一日一言」守屋洋(著)をもとに、 自分なりに追記や解釈して掲載しています。 私たちは、日々、何をするにしても 大なり小なり、決断(選択)をしている その折々に思い出し、 より善い選択(決断)ができるように 貴方も私も 在りたいですね。

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