大道は多岐なるを以って羊を亡う|大道以多岐亡羊|列子 説符|

第一章 大きく生きる
大道は多岐なるを以って羊を亡う
ー大道以多岐亡羊ー 列子 説符
{列子:八巻。戦国初期の鄭のひと列御冠の撰とされているが、偽作説もあり。別名「沖虚真経」}
{原文}
大道以多岐亡羊
學者以多方喪生。
{書き下し文}
大道は多岐なるを以って羊を亡う
学者は多方を以って生を喪う。

{意解}
「大きな道には分かれ道が多い。
だから逃げた羊の姿を見失ってしまう、
学問の道が多方面に分かれているので
真理を求めるのが難しい」
という意味になる。
脇道が多く、知らないうちに迷い込み目標の道を忘れてしまう。
「多岐亡羊」「亡羊の嘆」と略される。
私たちには大きな目標が必要に思う、目先の目的、目標が達成されると
達成感、満足感でついつい脇道の甘い香りの誘惑に乗りやすいもの。
三十代にはこれを目標に、
四十代にはこれ、
五十代にはこれ、
六十代にはこれを目標に
何年も同じ目標に取り組めばなんとか出来るもの!
振り返ったときに後悔の少ない人生と思えるように生きたいものですね。
論語 為政 第二に「三十にして立ち、四十にして惑わず」とある。
知らない人はいないほど、有名な言葉ですね。
孔子みずからの生涯を要約した言葉だといわれています。
十五歳のとき学問で身を立てようと決心し、
三十歳でその基礎ができ、
四十歳で自分の進む方向に確信が持てるようになった。
さらに五十歳で天命を自覚し、
六十歳のときにはどんな意見にも
素直に耳を傾けられるようになり、
七十歳になると、欲望のままにふるまっても
人間の規範を逸脱しないような自在の境地に達することができた。
容易ではないけれども、
人生の道しるべとするだけでも、意義のある言葉ですね。
*参考資料:「中国古典一日一言」守屋洋(著)をもとに、
自分なりに追記や解釈して掲載しています。
私たちは、日々、何をするにしても
大なり小なり、決断(選択)をしている
その折々に思い出し、
より善い選択(決断)ができるように
貴方も私も 在りたいですね。
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