憤りを発して食を忘れ、楽しみて以って憂いを忘る|論語 述而第七|
第一章 大きく生きる
憤りを発して食を忘れ、楽しみて以って憂いを忘る
ー発憤忘食、楽以忘憂ー 論語 述而第七
【論語:十巻二十編。孔子や孔子の門弟の言行を記したもの。儒家の聖典とされている。四書の一つ】
原文:
葉公問孔子於子路、子路不対。
子曰、汝奚不曰、其為人也、
発憤忘食、楽以忘憂、
不知老之将至云爾。
書き下し文:
葉公、孔子を子路に問う。子路対えず。
子曰く、汝奚ぞ曰わざる。その人と為りや、
憤りを発して食を忘れ、楽しみて以って憂いを忘れ、
老いの将に至らんとするを知らざるのみ。
意解:
孔子の弟子に、子路という人物がいる。ある人が、子路に向かって、
「孔子とはどんな人物ですか」とたずねた。だが、子路は答えられなかった。
あとでそのことを知った孔子は、こう語ったという。
「汝なんぞ云わざる。その人となりや、憤りを発して食を忘れ、
楽しみて以って憂いを忘れ、老いのまさに至らんとするを知らざるのみ、と」
なぜ答えてくれなかったのかね。時勢を憂えると食事のことも忘れてしまう。
楽しみごとに熱中すると心配事も吹っ飛んでしまう。
そうして老い先の短いことも忘れている男だ、と。
ざっとこんな意味になるかもしれない。
これは、孔子が自ら描いてみせた自画像である。「憤り」だけではなく
「楽しみ」もあるところがなんとも言えない味わいを感じる。因みに、
孔子は弟子の子貢に信条とする言葉を聞かれて、
「恕:己の欲せざる所は人に施すなかれ」と答えている。
*参考資料:「中国古典一日一言」守屋洋(著)をもとに、
自分なりに追記や解釈して掲載しています。
私たちは、日々、何をするにしても
大なり小なり、決断(選択)をしている
その折々に思い出し、
より善い選択(決断)ができるように
貴方も私も 在りたいですね。
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