怨み豈に明らかなるに在らんや、見えざるをこれ図れ|書経 夏書|

第七章 人と接するための心得
怨み豈に明らかなるに在らんや、見えざるをこれ図れ
ー怨豈在明、不見是図ー 書経 夏書 五子之歌
【書経:二十巻。「尚書」のこと。五経の一つ。堯、舜の伝説時代から夏、殷を経て、周代に至る間の政治に関する記録。初めは単に「書」といったが、宋代になって「書経」と呼ばれるようになった】
原文:
皇祖有訓、民可近、不可下、
民惟邦本、本固邦寧。
予視天下、愚夫愚婦、一能勝予、
一人三失、怨豈在明、不見是圖。
予臨兆民、懍乎若朽索之馭六馬、
為人上者、奈何不敬。
書き下し文:
皇祖に訓え有り、民は近づく可く、下す可からず、
民は惟れ邦の本なり、本固ければ邦寧し。
予天下を視るに、愚夫愚婦、一に能く予に勝る、
一人三失ある、怨み豈に明らかなるに在らんや、見えざるをこれ図れ、
予兆民に臨むに、懍乎として朽索の六馬を馭するが如し、
人の上たる者、奈何ぞ敬せざらん。
*奈何(いかん):いかんせん,なんともしようがない

意解:
皇祖には教訓がある。民とは親しまなければならないが、見下してはいけない。
民は国の根本であり、根本がしっかりしていれば、國は大丈夫だ。
予天下を観察してみると、愚夫愚婦でも私より勝るところがある。
上に立つ者が何回も過失を犯したら、民の怨みは明らかであろう。
恨みや不満が形になる前に、手を打たなければならない。
予が兆民(民衆)に臨む時は、
朽ちた索で六頭の馬を御す時のように注意を怠らなかった。
人の上にいる者は、敬畏の心を持たなければならない。
訓えとして、人とは仲良くすべきで、けっして見下してはいけない。
人は皆自分よりも勝るところを持ち合わせている。
相手に対しては敬意をはらい、
尊重する心を持って接するべきである。
何度も過失や失敗を繰り返していれば、不信感が募るのも明らかで、
言動に表れる前に、目に見えない段階でそれを察知し、手を打つべきである。
そのためには、たえず自分の行動を自問自答し、
不満や不信感に繋がりそうな要素を取り除いておくべきで、
災いを未然に防ぐ(事先予防)ためには、
そういう心構えが必要だと言っている。
戦国策 中山策に「怨みは深浅を期せず、それ心を傷うに於いてす」とある。
些細な怨みでも、相手の心を傷つければ、手ひどい報いを受ける、の意味。
こちらに其の気がなくても、たった一言で相手を傷つけ、
生涯の敵をつくってしまうこともある。
「人に物を施すのは多い少ないかではなく、
その人が困っている時に行うことである。
人の怨みを買うのは怨みが深いか浅いかではなく、
その人の心を傷つけたかどうかである。吾、一杯のスープで国を亡い、
一壺の食物で二人の士を得た(心施)」と。
こういった人間関係の機微は、現代でも同じであろう。
*参考資料:「中国古典一日一言」守屋洋(著)をもとに、
自分なりに追記や解釈して掲載しています。
私たちは、日々、何をするにしても
大なり小なり、決断(選択)をしている
その折々に思い出し、
より善い選択(決断)ができるように
貴方も私も 在りたいですね。
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