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人を知る者は智なり、自らを知る者は明なり|老子 上篇 33章|

人を知る者は智なり、自らを知る者は明なり 第二章 自己を高める
人を知る者は智なり、自らを知る者は明なり

第二章 自己を高める

 


ひとる者はなり、みずからをる者はめいなり

ー知人者智、自知者明ー   老子 上篇 33章
(老子:二巻八十一章。道家の祖。老耽の撰と伝えられるが、老耽が実在したか否かは明らかではない。人為、虚飾を去って、無為自然であるべきことを説いている。別名「道徳経」)




{原文}

知人者智、自知者明。
勝人者有力、自勝者強。
知足者富、強行者有志。
不失其所者、
死而不亡者壽。




{書き下し文}

ひとる者はなり、みずからをる者はめいなり。
ひとに勝つ者は力有ちからあり、みずからに勝つ者はつよし。
ることを知る者はめり、 つとめて行う者は志有しあり。
の所を失わざる者はひさし、
してしかうしなわざる者は 寿いのちまっとうす。

人を知る者は智なり、自らを知る者は明なり

人を知る者は智なり、自らを知る者は明なり




{意解}

他人を理解する者が知者であり、自分自身を理解する者こそ明知の人である。
他人にうち勝つものは力があるだけだが、おのれにうち勝つものは真の強者だ。
既に持っているもので満足できる人(知足者)が本当に富裕な人であり、
自分自身を勉励べんれいして行動できる人が本当にこころざしのある人である。

おのれにふさわしい生き方を失わないものは長続きし、 
死すその時までしたがこころざしを失わない人が、
その天寿てんじゅ(天命)をまっとうできるのである。

「智」は深い読みのできる能力、洞察力である。
「明」は「智」よりも更に深い洞察力を指している。
この一文は 「人を知る者はせいぜい知者のレベルに過ぎない。
自分を知る者こそ明知の人である」 と訳せる。

日々、すれ違う人にも顔つき、行動、態度、等で和気、殺気、冷気を
感じた事もあると思います。
ましてや、身近な人であれば心の状態をも伝わってくる。
人を知る(理解する)のも難しいが、 自分を知ることのほうがはるかに難しい。
人のことは解っても、 自分のことは診えていないのが普通であるが、
それでは事に当たって的確な判断をすることが難しい。

 「孫子」は孫子 謀攻篇で
彼を知り己を知れば百戦してあやうからず」 と語る。
ことさらに、「孫子」にいわれなくても、事前調査の必要性、
そして自己能力の把握はあくが重要なことは誰でも理解している。が、
頭で理解していても、実行の段階になると、れがむずかしい。
その理由に、

・ 「彼」に対しての調査不足、
・ 自己能力に対しての認識不足
・ 楽観的(主観的)観測
・ 一面的な思い込み

等の理由で判断を誤ることが少なくない。何か事を始めるときには、
可能な限り調査し、客観的に判断する冷静さが必要だろう。

荘子の「坐忘」で紹介した勝海舟の「氷川清話」で、
何事も欲望や疑念に心が惑わされていては、
ない決断(判断・選択)はくだしがたい。
坐忘ざぼう』といって、無になっていれば 自在の判断ができるようになる。
坐忘ざぼう」の域で対処せよ、と勝海舟も云う。

日々の「自己を高める」努力が必要だろう。

勉励べんれい:一心に努力すること

参考資料:「中国古典一日一言」守屋洋(著)をもとに、
自分なりに追記や解釈して掲載しています。

私たちは、日々、何をするにしても
大なり小なり、決断(選択)をしている
その折々に思い出し、
より善い選択(決断)ができるように
貴方も私も 在りたいですね。