壹貴壹賎、交情すなわち見わる|壹貴壹賎、交情乃見|史記 第十巻|
第七章 人と接するための心得
壹貴壹賎、交情すなわち見わる
ー壹貴壹賎、交情乃見ー 史記 第十巻
【史記:百三十巻。前漢の司馬遷が撰した、中国最初の通史。
上古の黄帝から、漢の武帝までの歴史を紀伝体で記されている】
原文:
下邽翟公為有言、始翟公為廷尉、賓客填門。
及廃、門外可設雀羅。
翟公復為廷尉、賓客欲往、翟公乃人署其門曰、
「壹死壹生、乃知交情。壹貧壹富、乃知交態。
壹貴壹賤、交情乃見。」
書き下し文:
下邽翟公有言を為す、始翟公廷尉と為り、賓客で門は填まる。
及廃するや、門外に雀羅を設べし。
翟公廷尉に復為り、賓客欲往、翟公門に署して曰く、
「壹死壹生、乃交情を知り。壹貧壹富、乃交態を知り。
壹貴壹賎、交情乃見わる。」
意解:
下邽(陝西省)の翟公はこう言っている、
はじめ翟公が廷尉(検事総長)であったとき、
おしかけてきた賓客が門に満ちた。
免職されると、門外に雀羅(かすみあみ)をはりうるほどに
人の出入りがなくなった。ふたたび廷尉になると、
また賓客がおしかけようとした。そこで翟公はその門に署した。
「壹死壹生、乃交情を知り。
壹貧壹富、乃交態を知り。
壹貴壹賎、交情乃見わる。」
人の付き合いが生死、貧富、貴賤の変化につれて、
ガラリと変わることを皮肉った言葉である。
現代でも同じで、好調なときは人も寄ってくるが、
落ち目になると、人の足も途絶えてしまう。
やるせない気持ちではあるが、それが現実である。
易経 繋辞上伝 第四章に「天を楽しみ、命を知る、故に憂えず」とある。
天地宇宙の変化を楽しみ、己の使命(天命)を自覚し受容する、
ゆえに目先の現象に一喜一憂しない。
土(天に対する地のこと)自分の境遇に安んじて
思いやりの心に満ちていれば、広く隣人を愛することができると説く。
一喜一憂しない事だろう。
*参考資料:「中国古典一日一言」守屋洋(著)をもとに、
自分なりに追記や解釈して掲載しています。
私たちは、日々、何をするにしても
大なり小なり、決断(選択)をしている
その折々に思い出し、
より善い選択(決断)ができるように
貴方も私も 在りたいですね。
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