練極まりて福を成すは、その福始めて久し|菜根譚 前集 74項|

第二章 自己を高める

練極まりて福を成すは、 その福始めて久し
練極まりて福を成すは、 その福始めて久し

 

第二章 自己を高める

練極れんきわまりてふくすは、その福始ふくはじめてひさ

ー 練極而成福者、其福始久 ー  菜根譚 前集 74項
【菜根譚:明の洪自誠編。前集222条では人との交わり、事治、対応の道を説き、後集135条では退静閑居の楽しみを論じている】

原文:


一苦一楽相磨練、
練極而成福者、
其福始久。
一疑一信参勘、
勘極而成知者、
其知始真。

書き下し文:


一苦一楽いつくいちらく相磨練あいまれんし、
練極れんきわまりてふくすは、
その福始ふくはじめてひさし。
一疑一信いちぎいつしん相参勘あいさんかんし、
勘極かんきわまりてすは、
はじめてしんなり。

練極まりて福を成すは、 その福始めて久し
練極まりて福を成すは、 その福始めて久し


意解:


時には喜び、時には苦しみながら、その果に築き上げた幸福であれば、
いつまでも持続する。
時には信じ、時には疑いながら、熟慮の末に掴んだ確信であれば、
もはや動かしようがない。

幸福にしても信念にしても、確固としたものを手に入れるためには、
己に落とし込んでこそ、価値が生まれるという。

菜根譚 前集 56項に「書を読みて聖賢を見ざれば、鉛槧の傭たり」とある。
古人の書物を読んで、字句の解釈だけで聖賢の心に触れなければ、
それは単なる文字のやとわれ者にすぎない、と言っている。
己に落とし込む事が重要だろう。

*参考資料:「中国古典一日一言」守屋洋(著)を参考に
自分なりに追記や解釈して掲載しています。

私たちは、日々、何をするにしても
大なり小なり、決断(選択)をしている
その折々に思い出し、
より善い選択(決断)ができるように
貴方も私も 在りたいですね。