第二章 自己を高める
君子は豹変す
ー君子豹変ー 易経 革卦 象伝
(易経:「易」または「周易」ともいう。五経の一つ。卜筮(ぼくぜい)の法によって、倫理道徳を説いたもの。上下の「経」と、その注釈篇である。「十翼」からなり、十翼は孔子の編と伝えられている。)
{原文}
象曰。
君子豹変、
其文蔚也。
小人革面。
順以従君也。
{書き下し文}
象に曰く、
君子は豹変すとは、
その文蔚たるなり。
小人は面を革む。
順にして以て君に従うなり。
{意解}
君子は時の変わるに応じて自分の誤りはきっぱり改め、
豹の毛皮が秋に一変し、美しい紋様が移り変わるようにする。
小人はそういうときは、表面的にも態度を改め、
君子の言うとおりに従えばよい。という意味である。
豹皮は、現在色々な品物に応用されるほど 美しい模様である。
そういう善い方向へ変化する事が 「豹変」である。
今までの自分から脱皮して 新しい自分を作り上げる、
進歩向上することと言ってよい。
時の流れと共に、時代も変化する、変化についていくには、
常に自分を向上、リフレッシュさせ、
より革新的な創造を心がけなければならない。
これが本来の「君子豹変」である。しかし、
現代では良くない意味で用いられている。
たとえば、初めは「賛同」しておきながら 何かの裏事情で、
態度を変え一転して「反対」 に変える。
現在ではこれを「豹変」として使っている。 やはり、
善い進歩での「豹変」にしたいものである。
論語 衛霊公 第十五 30に「過ちて改めざる、これを過ちと謂う」とある。
人は誰しも間違いを犯すことがある。自分の軽率な行為、無知、
自分が犯した過ちを過ちと認めるのは、人間誰だって嫌である。
ついつい言い訳を探してしまったことや、口を拭って知らぬ顔をしたり、
居直ったりしがちである。そしてまたそれを後悔したりするのである。
過ちを過ちとして認めることから人としての進歩が始まるように思う。
*参考資料:「中国古典一日一言」守屋洋(著)をもとに、
自分なりに追記や解釈して掲載しています。
私たちは、日々、何をするにしても
大なり小なり、決断(選択)をしている
その折々に思い出し、
より善い選択(決断)ができるように
貴方も私も 在りたいですね。