亢龍悔いあり|亢龍有悔|周易上經 彖伝上、乾下乾上 乾為天|

第四章 着実に生きる
亢龍悔いあり
ー亢龍有悔ー 周易上經 彖伝上、乾下乾上 乾為天
(易経:「易」または「周易」ともいう。五経の一つ。卜筮(ぼくぜい)の法によって、倫理道徳を説いたもの。上下の「経」と、その注釈篇である。「十翼」からなり、十翼は孔子の編と伝えられている。)
{原文}
彖曰、
潛龍勿用、陽在下也。
見龍在田、德施普也。
終日乾乾、反復道也。
或躍在淵、進无咎也。
飛龍在天、大人造也。
亢龍有悔、盈不可久也。
用九、天德不可爲首也。
{書き下し文}
彖に曰く、
潛龍用うること勿かれとは、陽下に在ればなり。
見龍田に在りとは、德の施し普きなり。
終日乾乾すとは、道を反復するなり。
或は躍りて淵に在りとは、進むも咎无きなり。
飛龍天に在りとは、大人の造なるなり。
亢龍悔有りとは、盈つれば久しかる可からざるなり。
用九は、天德首たる可からざるなり。

{意解}
「亢龍」とは、昇りつめた龍のこと。
「盈つれば久しかるべからざるなり」
頂上まで昇りつめた者はやがて転落の道をたどって悔いを残すことになる、
と戒めた言葉である。
「昇りつめた者は、高いポストについていても部下の支持を失い、
人材がいてもその補佐を受けることができない。こうなっては、
なにをしても悔いを残す結果になる」と占っている。
「易」というのはもともと、
この世の中には何一つ一定不変のものはありえないという認識の上に立ち、
極盛のなかに衰微の兆しを見ようとする。
この言葉なども、その思想の表れと言ってよい。
昇りつめた者が転落を免れるためには、
身を引くタイミングを謝らないことが必要だ。
遅くとも、昇りつめたそのときに、
引退の潮時を考えるぐらいで、ちょうどよいのかもしれない。
老子 道徳経 下篇に「功遂げ身退くは天の道なり」とある。
この「老子」書で取り上げたのは漢の劉邦に仕えた、 張良(軍師)である。
成し遂げた後の 引き際を知覚(自覚)することは 非常に難しいが、
心の隅に止めておくべきなのかもしれない。
*極盛:勢いが最もさかんなこと
*衰微:衰えて勢いが弱ること
*参考資料:「中国古典一日一言」守屋洋(著)をもとに、
自分なりに追記や解釈して掲載しています。
私たちは、日々、何をするにしても
大なり小なり、決断(選択)をしている
その折々に思い出し、
より善い選択(決断)ができるように
貴方も私も 在りたいですね。
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