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位なきを患えず、立つ所以を患えよ|不患無位、患所以⽴|論語 ⾥仁

位なきを患えず、立つ所以を患えよ 第二章 自己を高める
位なきを患えず、立つ所以を患えよ

 

第二章 自己を高める

 

くらいなきをうれえず、所以ゆえんうれえよ

ー不患無位、患所以⽴ー   論語 ⾥仁 第四 14
(論語:⼗巻⼆⼗編。孔⼦や孔⼦の⾨弟の⾔⾏を記したもの。儒家の聖典とされている。四書の⼀つ。)




{原⽂}

⼦⽈、
不患無位、
患所以⽴。
不患莫⼰知、
求爲可知也。




{書き下し文}

子曰く、
くらいなきをうれえず、
所以ゆえんうれえよ。
おのれを知ることきをうれえず、
知らるべきことをすをもとむ。

位なきを患えず、立つ所以を患えよ

位なきを患えず、立つ所以を患えよ




{意解}

いつまでたっても管理職になれない。 重役にしてもらえないと嘆く前に、
そうゆう地位にふさわしい実⼒を ⾝につけるようにまず努⼒しなさいというもの。

之を語った孔⼦という⼈物は
政界で⾃分の腕を振るいたいという 願望を⼈⼀倍持っていた⼈である。

孔⼦の⻘年期には住んでいる 魯国ろこく三桓⽒さんかんしらによる独 裁 体 制どくさいたいせいであった。
昭 公しょうこうと共に 実権を取り戻そうとクーデターを起こすが失敗し、
昭公、孔⼦ともに⻫国に亡命する。

後も、君主に恵まれず 諸国を転々とする。孔⼦52歳のとき、
定公によって中都の宰に取り⽴てられていた折の「夾 国きょうこくの会」の件は
有名で⻫国の名相、晏⼦あんしの計略をみやぶり、魯国に有利な外交上の貢 献をしている。

亡命からの晩年は 国政に失望したとも⾔われている。
この⾔葉は、そういう孔⼦の実感から 出た⾔葉に思われる。

不遇の時は誰の⼈⽣にもある。
その時に、⾃分の不遇を嘆き、愚痴や不満を吹 聴ふいちょうしていたのでは、
いつまでたっても道は開けない。

そんな時期こそ、 ⾃分を鍛え徳の習得に励んでいれば、
どんな結果になろうと
⾃分に恥じることのない時を過ごせるのではないだろうか。

*参考資料:「中国古典⼀⽇⼀⾔」守屋洋(著)をもとに、
⾃分なりに追記や解釈して掲載しています。

私たちは、⽇々、何をするにしても
⼤なり⼩なり、決断(選択)をしている
その折々に思い出し、
より善い選択(決断)ができるように
貴⽅も私も 在りたいですね。