柱に膠して瑟を鼓す|膠柱而鼓瑟|史記 廉頗藺相如伝|
第六章 成功の心得
柱に膠して瑟を鼓す
ー膠柱而鼓瑟ー 史記 廉頗藺相如伝
(史記:百三十巻。前漢の司馬遷が撰した、中国最初の通史です。上古の黄帝から、漢の武帝までの歴史を紀伝体で記しています。)
{原文}
藺相如曰、王以名使括。
若膠柱而鼓瑟耳。
括徒能讀其父書傳。
不知合變也。
趙王不聽。遂將之。
{書き下し文}
藺相如曰く、王は名を以て括を使う。
柱に膠して瑟を鼓するが若きのみ。
括は徒だに能く其の父の書伝を読むのみ。
変に合うを知らざるなり、と。
趙王聴かず。遂に之を将とす。
*WEB漢文大系:琴柱に膠す より引用
{意解}
柱を膠(接着剤)で固定してしまったのでは、同じ音しか出ず曲にならない。
融通の利かない固まった思考を喩えたのが、このことばである。
戦国時代、趙の国に、趙奢という名将がいた。その子の趙括も、
幼少より兵法書を研究し、軍事にかけては、右に出るものはいないと自負していた。
趙奢の死後、この趙括が趙軍の総司令官に任命されて
秦の大軍を迎え撃つことになった。
しかし、趙括はあえなく惨敗を喫し、戦死してしまう。
何故、趙括は敗れたのか。かれが総司令官に任命された時、
重臣の藺相如が反対していったことばが
「趙括の兵法は、柱に膠して瑟(大琴)を鼓するようなもの。
理屈こそ達者であるが、実践では、臨機応変な指揮などできない」である。
趙括の敗因は、実践体験に乏しい固まった思考にあったためだと言っている。
伝習録に「人はすべからく事上に在って磨くべし」とある。
生活や仕事など毎日の実践を通して「事上(実践)」で自分を鍛え、
体で覚えることが必要だという。
これは「知行合一(知識と行為は一体であるということ)」を説いた
陽明学の始祖、王陽明の言行を記した本の中の一文である。
*参考資料:「中国古典一日一言」守屋洋(著)をもとに、
自分なりに追記や解釈して掲載しています。
私たちは、日々、何をするにしても
大なり小なり、決断(選択)をしている
その折々に思い出し、
より善い選択(決断)ができるように
貴方も私も 在りたいですね。
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