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井を掘ること九仞、而も泉に及ばざれば、なお井を棄つと為すなり|孟子

井を掘ること九仞、而も泉に及ばざれば、なお井を棄つと為すなり 第六章 成功の心得
井を掘ること九仞、而も泉に及ばざれば、なお井を棄つと為すなり

 

第六章 成功の心得

 

ること九仞きゅうじんしかいずみおよばざれば、
なおつとすなり。

-堀井九仞、而不及泉、猶爲棄井也。-  孟子 盡心章句上 二十九
孟子もうし:七編。戦国中期の儒家孟軻もうかの言行や学説を編集したもの。性善説や王道論は有名。四書の一つ。)




【原文】

孟子曰、
有爲者辟若掘井。
堀井九仞、
而不及泉、
猶爲棄井也。




【書き下し文】

孟子曰もうしいわく、
すことらんとする者は、へきるがごとし。
ること九仞きゅうじんなれども、
しかいずみおよばざれば、
なおつとす、と。

へき:例、例えば

井を掘ること九仞、而も泉に及ばざれば、なお井を棄つと為すなり

井を掘ること九仞、而も泉に及ばざれば、なお井を棄つと為すなり




【意解】

孟子は、
「なにか一つの事業を行うのは、例えば井戸を掘るようなものだ。
九仞きゅうじんの深さまで掘ったとしても、水脈に達しないうちにやめてしまったのでは、
井戸をてたも同然だ」と云う。

始めた仕事は途中であきらめたのではそれまでの努力・苦労が
すべて水のあわとなってしまう、最後までやり通せと言っている。

しかし、水脈のない場所をどんなに掘っても水は出ない。
そこに水脈が通っているか、確信がもてる程の事前調査じぜんちょうさ必須ひっすである。
あとは信じて、最後までやり抜く(完遂かんすい)だけである。
私たちの人生にいても、何事もあきらめず最後までつらぬき通したいものである。

*参考資料:「中国古典一日一言」守屋洋(著)をもとに、
自分なりに追記や解釈して掲載しています。

私たちは、日々、何をするにしても
大なり小なり、決断(選択)をしている
その折々に思い出し、
より善い選択(決断)ができるように
貴方も私も 在りたいですね。