第四章 着実に生きる
百里を行く者は九十を半ばとす
ー 行百里者、半九十 ー 戦国策
(戦国策:三十三篇。周の元王から秦の始皇帝までの戦国時代の謀臣、策士らの活躍を各国別に編んだもの。前漢の劉向の編。)
{原文}
行百里者、半九十、
此言末路之難。
{書き下し文}
百里を行く者は、九十に半ばす。
此れ末路の難きを言うなり。
{意解}
百里を旅する者は、九十里をもって半分の行程だと心得なさい、というのである。
言うまでもなく、最終段階におけるツメの大切なことを語った言葉にほかならない。
名君の誉れ高い太宗が、政治の心構えについて、こう語っている。
「国を治める時の心構えは、病気を治療するときの心掛けとまったく同じである。
病人というのは、快方に向かっている時こそ、いっそう用心して
看病にあたらなければならない。つい油断して、医師の支持を破ることがあれば、
それこそ命取りになるであろう。国を治めるにあたっても、同じ心構えが必要だ。
天下が安定に向かっている時こそ、最も慎重にしなければならない」と。
政治や病気の治療だけではない。最後のツメで気を許し、
しまったと臍を噛むことが少なくない。
そうならないためには、ツメの段階で一層気持ちを引き締めて事に当たる必要がある。
*「戦国策」は、戦国時代の十二国の歴史を国別に綴った書物で、
当時の歴史を伝える書物としても貴重な本とされる。
漢の劉向が各国の国策、献策、遊説家の言説といった逸話をまとめたもので、
中国の世界・政治を垣間みることができる。この時代は覇者の時代と言われ、
まだ君主を中心とした国体が強かった春秋時代に対して、
戦国時代は「戦国四君」(孟嘗君、平原君、信陵君、春申君)で代表されるように、
国家に縛られない傑人が国をまたいで活躍した時代でもある。
異能の者を囲い、養う「食客」も流行し、孟嘗君や平原君が囲っていた
情報収集のための食客は3000人を越したとも言われている。
このような時代の中での、各国が巡らせた策略・知恵が記録されているのが
『戦国策』というわけです。
中国には、日本とは異なる、非常に複雑な政治上の駆け引きが存在する。
二重、三重のスパイも多く、誰が何のために、何を言っているのか、
何をしているのかを完全に把握するのは極めて困難なほど。
何かをなす場合にも、そこには多くの思惑が絡み、完成を妨げる活動が
国を連合させることもある。そんな中で天下統一の偉業をなそうと思えば、
まさに「九十にして半ばす」という心境で臨まないことには、百里には達しない。
やはり「末路」(最後)が一番難しい。九十里はまだ半分であり、
それまで歩んだ九十里をもう一度歩き抜く覚悟で臨まなければ、
完成に達することはない。このような時代背景を知れば冒頭の言葉も重みを感じる。
私たちが生きるということは、何かに達する途中であると思える。
充実した日々を送り・・・人生の最期に何かに達する・・・「我が人生に悔いなし」
そのような人生に近づきたいものである。
*参考資料:「中国古典一日一言」守屋洋(著)をもとに、
自分なりに追記や解釈して掲載しています。
私たちは、日々、何をするにしても
大なり小なり、決断(選択)をしている
その折々に思い出し、
より善い選択(決断)ができるように
貴方も私も 在りたいですね。