その不辜を殺さんよりはむしろ不経に失せよ|書経 虞書 大禹謨|

第八章 リーダーの心得
その不辜を殺さんよりはむしろ不経に失せよ
ー与其殺不辜、寧失不経ー 書経 虞書 大禹謨
【書経:二十巻。「尚書」のこと。五経の一つ。
堯、舜の伝説時代から夏、殷を経て、周代に至る間の政治に関する記録。
初めは単に「書」といったが、宋代になって「書経」と呼ばれるようになった】
原文:
皐陶曰、帝德罔愆。
臨下以簡、御衆以寬。
罰弗及嗣、賞延于世。
宥過無大、刑故無小。
罪疑惟輕、功疑惟重。
與其殺不辜、寧失不經。
書き下し文:
皐陶曰く、帝の德愆つこと罔し。
下に臨むに簡を以てし、衆を御すに寬を以てす。
罰は嗣に及ぼさず、賞は世に延ぼす。
過てるを宥めて大いなりとすること無く、故を刑するに小しきなること無し。
罪の疑わしきは惟を軽くし、功の疑わしきは惟を重くす。
その不辜を殺さんよりは、寧不経に失せよ。
*参考:「書経」(尚書)原文と読み

意解:
「不辜」とは、罪のない人。「不経」とは、法律に合わないこと、
超法規的解釈である。
現代の法曹界に、「疑わしきは罰せず」という思想がある。
こういう考え方はヨーロッパの人権思想から出たものらしい。
この「書経」のことばも、意味するところは同じである。
罪のない人間を殺すよりも、
むしろ法律のほうを曲げたほうがマシだというのである。
ちなみの「書経」のことばをもう少し引用すると、
「下に臨むに簡を以てし、衆を御すに寬を以てす。
罰は嗣に及ぼさず、賞は世に延ぼす。
過てるを宥めて大いなりとすること無く、
故を刑するに小しきなること無し。
罪の疑わしきは惟を軽くし、功の疑わしきは惟を重くす。
その不辜を殺さんよりは、寧不経に失せよ。」
ただし、この「書経」の考え方は、
為政者(リーダー)の徳を強調したものである。
宋名臣言行録に「明なれども察に及ばず、寛なれども縦に至らず」とある。
政をなすや、鎮静を以って本となし、明なれども察に及ばず、
寛なれども縦に至らず。吏民これに安んずとある。
「鎮静」とは、もめごとや騒ぎが起こらないこと。
「明なれども察に及ばず」とは、素晴らしい洞察力を持っていたが、
あまり細かいところまでは眼を光らせなかったということ。
「寛なれども縦に至らず」とは、寛容であったが、
締めるところはちゃんと締めていたというのである。
それで、部下や国民は安心して仕事に励むことができたという。
これこそ為政者(リーダー)の徳を語った一文だろう。
*参考資料:「中国古典一日一言」守屋洋(著)をもとに、
自分なりに追記や解釈して掲載しています。
私たちは、日々、何をするにしても
大なり小なり、決断(選択)をしている
その折々に思い出し、
より善い選択(決断)ができるように
貴方も私も 在りたいですね。
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