第八章 リーダーの心得
明なれども察に及ばず、寛なれども縦に至らず
ー明不及察、寛不至縦ー 宋名臣言行録
【宋名臣言行録:二十四巻。前集十巻、後集十四巻は南宋の朱熹の撰。続集八巻、別集二十六巻、外集十七巻は李幼武の補。宋代名臣の言行を集めたもの】
原文:
明不及察、
寛不至縦。
書き下し文:
明なれども察に及ばず、
寛なれども縦に至らず。
意解:
宋代の欧陽脩という政治家の政治姿勢についてコメントした言葉である。
「公(欧陽脩)の政をなすや、鎮静を以って本となし、
明なれども察に及ばず、寛なれども縦に至らず。吏民これに安んず」
「鎮静」とは、もめごとや騒ぎが起こらないこと。
「明なれども察に及ばず」とは、素晴らしい洞察力を持っていたが、
あまり細かいところには眼を光らせなかったということ。
「寛なれども縦に至らず」とは、寛容であったが、
締めるところはちゃんと締めていたというのである。
それで、部下や国民は安心して仕事に励むことができたというのだ。
「明」も「寛」もリーダーの条件と言ってよい。だが、ややもすると
「明」の持ち主は「察」に傾き、「寛」の持ち主は「縦」に流れてしまう。
そういうマイナスを出さなかったところに欧陽脩の偉さがあった。
こういう絶妙のバランス感覚もまた組織管理の要諦なのである。
論語 先進第十一 15 に「過ぎたるは及ばざるが如し」とある。
何事も程々にと云うことだろう。過ぎてもいけない、足りなくてもいけない。
“知者はこれに過ぎ、愚者は及ばず” バランスのとれた人間像が理想的だと、
孔子は言っているのである。
何事においても、礼を尽くすことは必要であるが、度が過ぎると、
悪意に受け取られることもある。
「礼も過ぎれば無礼になる」言行には中庸を心がけたいものである。
*参考資料:「中国古典一日一言」守屋洋(著)をもとに、
自分なりに追記や解釈して掲載しています。
私たちは、日々、何をするにしても
大なり小なり、決断(選択)をしている
その折々に思い出し、
より善い選択(決断)ができるように
貴方も私も 在りたいですね。