明主のその臣を導制する所は、二柄のみ|韓非子|

第八章 リーダーの心得
明主のその臣を導制する所は、二柄のみ
ー明主之所導制其臣、二柄而已矣ー 韓非子
【韓非子:二十五巻五十五篇。戦国時代の韓非の撰。先秦時代の法家の学を集大成し、それに韓非の考えを加えたもの。はじめ「韓子」と称したが、宋以後、唐の韓愈と区別するため「非」の字を加えたもの】
原文:
明主之所導制其臣、
二柄而已矣。
書き下し文:
明主のその臣を導制する所は、
二柄のみ。
*明主:賢明な君主

意解:
「導制」は、コントロールする、使いこなす。
「二柄」は、二つの柄(ハンドル)。
したがって、すぐれたトップは二つの柄を握っているだけで
部下を使いこなす、という意味になる。
では、「二つの柄」とは何か。「韓非子」によればこうである。
二つの柄とは、刑と徳である。では、刑徳とは、何か。
刑とは罰を加えること、徳とは賞を与えることだ。
部下というのは罰を恐れ賞を喜ぶのが常である。
だからトップが罰と賞の二つの権限を握っていれば、
ふるえあがらせたり、てなずけたりして、
想いのままに統制することができると云っている。
信賞必罰で臨むこと、これが部下を使いこなす鍵だ、というのである。
「韓非子」はさらに、つぎのようにダメを押している。
「殺されたり、実権を失ったりしたトップは、
賞罰の権限を二つとも部下に奪われていた。
こんな状態で身を滅ぼさなかったトップは、昔から、
一人もいたためしはないのである」と。
尉繚子 攻権第五では「善く将たる者は愛と威とのみ」とも云っている。
⽴派なリーダーになるためには、「愛」と「威」の⼆つの条件さえあれば、
それで⼗分なのだという。
「愛」とは、愛情、恩情、思いやりである。
「威」とは、重圧感を与えるような強さ、厳しさを⾔う。
部下のやる気を引き出し、「この⼈のためならば」と思わせるためには、
普段から「愛」をもって臨む必要がある。しかし、「愛」だけでは
組織管理に⽢さが残る。へたをすると、上も下も、
まあまあ主義の馴れ合いが横⾏して、
組織としてのまとまりが無くなってしまう。
そうならないために必要なのが「威」である。
これでしっかりと抑えを効かせるのだ。
リーダーはこの⼆つのバランスをとるよう
⼼がけなければならない。と云う。
*参考資料:「中国古典一日一言」守屋洋(著)をもとに、
自分なりに追記や解釈して掲載しています。
私たちは、日々、何をするにしても
大なり小なり、決断(選択)をしている
その折々に思い出し、
より善い選択(決断)ができるように
貴方も私も 在りたいですね。
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